楽聖少女 書評

    ***    聖職者様のありがたいお言葉    ***  



金が貰えるから神を拝む。
つまり信仰とは金であり、宗教とは金であり、神とは金のことである。





さて、正月も終わり(四月…)、ようやく書けるようになった。
とはいえ寝る間も惜しみ休日も返上するほどの激務というわけでもなかったので、小雨の篠つく露天風呂で強い酒かっくらいながらラノベ読むくらいの時間はいくらでもあった。
DTP作業の増える暇なシフトに移行した為、仕事しているフリをしながら空き時間をいくらでも画面に向かって費やせる。いやはやまったく、結構なお話である。



楽聖少女



杉井光の作品を読むと「こいついつも同じもん書いてんな」と思う。タイトルとシリーズは違うのに、同じ主人公。同じヒロイン。同じ脇役達&ガヤ担当。そして何よりも同じなのは、書く対象…モチーフである。
しかしそれでも面白いというののが杉井光作品の凄いところであり、どこかで見たような内容を何度でも繰り返されても飽きずに楽しく読めるのは文体の小気味よいテンポの生み出す技というものであり、そして、これだけの数の著作を「繰り返し」されるともはや、作家が自分の手で書いた作品というよりはむしろ自律機械によって自動生成された文章のようにも見えてくる。
ラノベ作家を生業と決めた杉井が杉井なりに考え出した効率のよいラノベ量産システム。その結論が、これらの作品群なのだろう、と考える。
杉井の生き様はさておいて本書の内容に移ると、舞台は中世、登場人物たちは世界史の教科書に出てくる連中、と一見すると杉井作品が全く新しい世界を切り開いたかのようにも見えるものの、その実、登場人物の中身はと言えば前シリーズ「神様のメモ帳」において非常に既視感のあるものがほとんどである。主人公のゲーテ(ユキ)はナルミ。ヒロインのベートーベン(…。)はアリス。闘魂烈士団(……。)は平坂組。その監督役たるマリアは四代目。まあ、ヒロインがベートーベン(注:女性)というあたりだけでも、以前に天皇をヒロインとしたラノベを普通に出版まで漕ぎ着けてラノベ界にぶっこんできやがった杉井がまたアイツやりやがったぜという感じではあり、それだけでも十分に読む価値があると言えるのだが。それに、中世ヨーロッパ風の舞台背景に本当に闘魂烈士団などという名前の合唱団が存在していいのだろうかという根源的な問いが残されているわけだが。そもそも、その師匠として位置づけられた大音楽家ハイドンをあんな筋肉馬鹿にしてしまって本当にいいのか。いい加減そろそろ、杉井にはどこかから本当に刺客が送られる頃合いなのではないかと(以下略)
まあ簡単に言うと、「古典クラシックの大芸術家達が闊歩していた時代が、日本人に見つかった結果」のような作品だと思ってもらえればいい。だいたいそんな感じの作品である。歴史上の人物を女性化してヒロインとする作品は流行りであってラノベとしてはもはやありふれたものだが、きっちり読者の視線を常に想定して書く杉井らしく、飽きさせない作りである。
舞台は小難しい世界情勢ながら、杉井作品らしくかなり肩の力を抜いて読める作品でもある。
とは言え、特に理由もなく歴史上の人物たちの精神性がおちゃらけた連中へと入れ替わっただけで、ただの薄っぺらい漫才を繰り広げるだけの作品ではなく、時間遡行や存在の置き換えなどといったSF(どちらかと言えばオカルト)要素も含み、与えられた役柄に沿う記憶・人格へと、徐々に少しずつ変貌を遂げてゆく自身や他者に対する苦悩や焦燥、恐怖など、種々様々な描写対象へも筆を伸ばしている。
そして杉井がどの作品でも必ず描写しているモチーフはと言えば、芸術や真理に対する情熱である。年経ても経験を多く積んでも若さを失っても、未だその筆に衰えはない。
ラノベとは、作品も書き手もただいっとき味わってやがて忘れ去られるだけの消費物だが、こういう、定期的に無性に読みたくなる文章を書く作家の息は長いのだろうと思う。
もちろん、そこまでの文体を組み上げた技術や、作品の速成・量産システムを立ち上げて現役に稼働させているその戦略が凄いのだろう、とは思うが。


ハイドンが事あるごとに死合いを申し込んでくる世界観】