<レナって女王感染者なんじゃねえの?>


 以前考察した、“何で綿流し編目明し編)では大災害が起こらなかったのか”についての仮説にもう一ヶ、新たな可能性を追加してみたい。


・生存者のレナもまた女王感染者だったため、村人達の末期発症が起こらなかった。


 もちろんこの仮説には、
 「女王感染者って話自体、入江や鷹野のフカシって可能性もあるんじゃ?」
 「だいたい女王感染者ってのは古手家に現れるんじゃなかったっけ?」
 「そもそもレナが女王感染者になる要素自体ねえんじゃねえの?」
 などとさまざまな突っ込みができるわけで、大した説とは言えないのですが。
 ここでちょっとメタ方面から考えてみる。


 ひぐらしと言えばレナ。
 ミスひぐらしは沙都子ではなくレナ。(解り易い豹変少女としての意味で)
 ジャケット絵も四枚がレナ。
 様々な設定によって、怪しさ満載だったのもレナ。
 そのレナがせいぜい、優れた探偵役だけで終わる、というのはポジション的に納得しづらくね?と思う。


 綿流し編目明し編)では大災害が起こりませんでした。
 そして予想されていた村人達の末期発症も起こりませんでした。
 この理由を「レナもまた女王感染者であり、そのレナが生存していたから」と捉えることもできるわけです。
 まぁ…この論法だと、レナ父だって富田だって岡村だって牧野輪店の竹蔵おじさんだって乾物屋の次元の大介だって女王感染者でもいいじゃないか!という事になるわけですが。
 レナ=女王感染者。ありえないかなとは思うんだが、自分には妙に納得できてしまう。


 きちんと検証しますと、


・茨城での暴行事件や自傷行為、幻視っぽい経験、そして精神科医への供述のことから考えると…単にレナって茨城でL5発症して、それで追跡妄想からオヤシロ様云々って言ってたんじゃねえの? とも思えるわけですが、しかし彼女は雛見沢に帰ってきただけでぴたりと妄想が収まっている。例えば、一度L5に達したという沙都子は症状を抑えるために毎日の注射が必要なのに、である。
鬼隠し編罪滅し編で強調された「茨城時代のレナのオヤシロ様知覚」が、圭一が電車の中で知覚したようなものと同様とは…羽入によるものとは考えづらい。
・あと鬼隠し編圭一とレナのケースを比べると、「謝られる側」「謝る側」と症状的にだいぶ異なってくる。
・つまりレナは妄想でも羽入でもなく、単に別の奴からずっと「雛見沢に帰れ&謝れ」と言われ続けていた、という可能性も一応ある。


 で、ここから恒例の妄想を展開してみる。


・レナがしつこく帰れって言われてたのは女王感染者だからではなかろうか。
・レナが謝れって言われてたのは雛見沢住民に対してではなかろうか。
・女王感染者のレナが引越しした後あたりでダム計画が持ち上がっているようだが、これは、女王感染者の一人たる彼女が欠けたためにひっそりと住民の症状レベルが全体的に上がるなどし、入江機関が一度(長期的な目で見て)症候群治療に対してさじを投げかけた、という背景があったりするのではないだろうか。
・症候群が治療できない。土地に住まう人が感染するモノである以上、土地に感染源があるのは明らか。なら廃村にしちまえ、ダムに適した場なら水没させちまえ、という結論に達してもおかしくはない。
・入江の消極的報告を受け、“東京”の提案によりダム計画が持ち上がる。
・症状レベルが上がり、人格の下地の部分でそろって攻撃的になっていた住民達は反対運動を激烈に展開。
・入江機関は無関係だったが、鷹野が独自に支援、大臣の孫を誘拐。
・昭和54年に計画凍結、村は勝利を勝ち取ってしまう。
・そして昭和54〜57年の間に、L5発症者を最低二人、入江機関が捕捉している。
・昭和57年にレナが帰ってくる。住民の症状レベルが何気に下がる。
綿流し編梨花が死ぬが、レナが生きて雛見沢に留まっているために全感染者の末期発症が起きない。


 うーん……やっぱり考えすぎかねえ。


 いやまあ一応、こう考えんのには理由がないわけじゃなくてですね。
 …鬼隠しの冒頭、圭一らしき人がレナらしき謝罪を続ける人物?を殴ってるじゃないですか。
 で。雛見沢に越してきてとんでもない症状に囚われる事になった一般感染者・圭一が、隠れた女王感染者であるレナの謝罪を聞きながら、彼女を殴り続ける……という図は構図的に美しいんじゃないかと思ったんですよ。ひぐらしっぽいというか、なんか閉じた世界の悲劇っぽくて。追い詰められた人達が血族相食をはじめるみたいな。
 …いや、美しいとか何サイコな事言ってんのとか言わないでくれ。


 そういやどうでもいい感想だが、「キノの旅」にこんな感じの話があったよなぁ…と思った。
 中毒性の強い麻薬で人を一族から離れられない体にするしかない、旅人を新しい血として迎え入れる哀しい遊牧民の話。