<<北条家について>>



・もともとは別姓の父母と悟史と沙都子の四人家族。
 父と死別後、母子家庭に。(この時点で一度母の本姓に戻っているかも)
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・内縁の夫と同居する生活が度々あったらしい。
 悟史は受容する姿勢を示していたが、
 沙都子は拒絶し、母親を取られまいとする姿勢を示した。
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・北条氏と再婚。
 同時に改姓、三人は北条姓を得る。
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・沙都子、継父を受け入れられず幼児虐待を偽装。
 痣や傷を自ら作り、虐待を児童相談所に連絡。
 相談員が家庭訪問。結果、虐待の事実がないことが判明。
 原因は父子間の相互不理解にあるとされたが、虐待を偽装した沙都子が問題である、とも見なされたらしい。
 父母、市主催のワークショップを受講。
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・北条氏の仕事はうまく行かず、悟史の眼から見ても生活は豊かとは言えなかった。
 ダム計画が持ち上がった際には、遠方の親戚の元で生活を立て直すプランがあった。
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・計画に対し村内を派閥が二分するが、北条家はダム推進派へ。
 園崎を始めとして複数の家の参加もあったらしい。
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・園崎、ダム反対派へ転じ、他の家もダム反対へとなびき、北条はダム推進派として孤立。
 村内で被る不利益から北条がダム反対へ転じなかった理由を考えると、やはり金銭か。
 貧しい家庭環境のはずなのに両親の死亡時、口座に多額の現金が残されていたというのは、やはりダム計画に際し村内の意見取りまとめを国側(建設省?)から依頼され、それを引き受けた報酬として得ていたものかも知れない。
 ダム反対に鞍替え→金を手に入れられず生活も変えられず苦しい日々が続くだけ
 ダム推進を貫く→多少村内で立場は苦しくなるが、計画がうまくいけば村内からは出ていくことができるわけで、また協力による謝礼金を得られる上、補償費用の後押しをも得て生活場所を変えることができる。
 という事かもしれない。
 早い時期に村内から国側の内部協力者と見なされ引くに引けなくなった可能性もある。
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・ダム闘争。北条家、村八分を受ける。実弟である北条鉄平・玉枝夫妻も余波を被る。
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・昭和54年6月19日、ダム工事現場監督殺人事件発生。その後しばらくしてダム計画白紙撤回(凍結)。
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・昭和55年6月19日、旅行先の白川自然公園にて手すりが壊れ、北条夫妻川へ転落。北条氏の遺体は発見されるが、妻の遺体は見つからず。
 沙都子は車の中で寝ていたと証言。悟史は野球の試合に出ていたと証言。
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・口座に残されていた多額の現金について金融関係者が語った後、北条氏の実弟にあたる北条鉄平・玉枝、悟史・沙都子を引き取ることを承諾。(血の繋がりはなし)
 北条鉄平・玉枝、北条氏の家で生活を始める。
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・北条鉄平・玉枝より悟史・沙都子に対し虐待開始。
 両児疲弊。
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・沙都子、児童相談所へ再度通報。
 相談員家庭訪問。
 前回の虚偽虐待の可能性を含み、結論は様子見。定期観察処分。
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・虐待がより陰湿なものへとシフトする。
 鉄平、興宮に愛人を作りあまり家に帰らなくなる。ただし金をすするヒモ。
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・昭和57年6月19日午後6時前後、北条玉枝撲殺される。
 鉄平は殆ど家に帰ってこない状況、悟史は一人で在宅、沙都子は仲間達と祭りに出かけていた。
 悟史には少なくとも、捨てられたばかりの事務机を餌に玉枝をおびき出し、あらかじめ用意しておいたバットで撲殺する計画があった。実行したかは不明。
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・北条鉄平、愛人の間宮律子のもとへ留まり続ける。
 警察によって悟史は犯人と疑われる。
 詩音によりアリバイが作られる。
 数日後の沙都子の誕生日、悟史失踪。
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 沙都子、同じく56年に両親を失い公由村長を保護者として生活していた古手梨花と共同生活を始める。
 当初は古手家で生活していたが、家族を思い出すということで神社敷地内の防災倉庫2階で生活を始める。
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 至 昭和58年






・ちょっとだけ考察



「なぜ梨花と沙都子は二人だけの共同生活を送っているのか?」


 これは、よくよく考えると非常にヘンである。


 例えば、梨花は村長に義理の父ではないものの、「保護者」となってもらっている。
 つまり、法的には梨花は単独での生活を許されず、「保護者」たる村長の保護のもと生活していなければならない。
 沙都子については、両親死亡時の引き取り手、養父である叔父が生存している為、これが保護者存在に相当する。つうか養父ですな。
 

 玉枝が死に、鉄平は興宮から帰って来ず、悟史もまた失踪。
 そういう状況に陥った昭和57年6月下旬辺りの沙都子と、昭和56年に両親をなくし公由喜一郎に保護者となってもらい恐らくは古手本宅で一人で暮らしていただろう梨花
(養父ではなくあえて保護者となってもらったのは、古手の名を残すためと、また一人でも暮らしてゆく意志があったため…と推測する。この時点でもし梨花が公由本家で暮らしていたとすると、後に沙都子との共同生活を営む際に梨花はあえてそれまで厄介になっていた公由本家を出るという形になるわけで、少し強引すぎて現実味に乏しい気がする)
 この二人が一緒に暮らす経緯というのは、ちょっと想像し辛いものがある。


 祟殺し編の圭一は「兄の帰りを待つ沙都子に親友の梨花が自分と一緒に暮らそうと言ったのだろう」「保護者の村長は梨花と沙都子との生活を黙認しているだろう」と、推測している。
 でも、共同生活を営む結果に結びつく、その過程がちょっと普通には考えられない気がする。
 
 身寄りを失い、残る養父もまたどこかへ行ったきりとなれば(しかも虐待されていた)、兄を待ちたいという気持があっても沙都子単独での生活は難しい。
 村に寄る辺は全くなく、それどころか手元に生活資金さえあったかどうかさえ怪しい。
 (鉄平は金遣いの荒いヒモ、それを警戒し金を隠していた叔母は突然殺害され、兄は自分の貯金を全額引き出して後失踪)


 目明し編の様子からも、昭和57年時既に二人は親しかったらしい。
 親友の梨花が一人きりの家で呆然としている沙都子を見かねて一緒に暮らそうというのは解るのだが、なぜ村長に頼み込むなどして沙都子を住まわせてもらう、などの行動を起こさなかったのだろう。
 目明し編で詩音に見せる公由の北条に対する態度から判断してもまあ、「沙都子を預かってくれ」なんて言っていい返事が返ってくるはずもない。それはわかる。
 わかるが何も、幼い身空で一人暮らしを強行している自分が一緒に暮らすことにする、という選択肢はないんじゃないかなあと思う。
 こうなる結果があるとすれば、それは沙都子に頼れる身寄りがおらず、また村内の誰も引き取ろうとは言い出さなかった為だろうか。何やってんだイニシャルD。(豆腐屋の大樹)
 あと入江。



 …しかも、梨花が沙都子と一緒に生活するというのは別の意味も持っている。
 梨花の父は死守同盟の本部を敷地内に持つ古手神社の神主でありながら、ダム闘争を静観し、その最期はオヤシロ様の祟りにあったとも目されている。加えて、村八分扱いであったはずの北条家にも特に冷たい態度を取ったりはしなかった。
 その娘である梨花が、「続く祟りでついに一人残された北条の生き残り・沙都子を保護する」となれば……いくらダム闘争から年月が流れた村内と言えど、そしていかに村内から優遇される梨花と言えど、村内に不興を呈しないわけにはいかないだろうと思われる。
 ダム闘争は終わったけど、「祟り」とされる怪死はずっと続いているのだから。
 …少なくとも、あの父にしてこの子あり、と言われる位の事は覚悟しなければならない。
 オヤシロ様の生まれ変わりとして別格の扱いを受けている梨花ではあるけれど、流石にこの辺りの村内事情を無視するには、それなりの理由がいると思われるのだが…。



 やはり梨花は、「祟りから守る」つもりで一緒に暮らそうと言い出したのだろうか。
 「オヤシロ様の祟りではない、北条の人々が次々と消えたり死んだりしたのは祟りではない」という意味を込めて。



 だがもしそうだとしても、身近から人を次々とさらってゆく祟りへの恐怖を拭えない沙都子が、その気持を素直に受け止められたかどうかはわからない。
 祟りを当てるのはオヤシロ様といわれており、祟りに会って死んだり消えたりしている人間の多くは北条姓を有し、そして一緒に暮らそうと言う(当初二人は古手家で暮らしていた以上、沙都子から言い出す状況というのは想像できない)梨花は、オヤシロ様の生まれ変わりと言われている。そして、自分は北条姓。



 いくら親友と言えど、好意をそのままに受け取るのは難しいかも知れない…。
 私だったら、次の祟りはお前ですよ、と言われているようにしか感じないと思う。
 つうか私だったら村から逃げ出すと思う。
 ――ああ、逃げても追っかけてくるんだっけ。オヤシロ様
 それだと毎晩枕元に立たれて、いずれは村に連れ戻されるのか…。
 じゃあ…だったら、梨花が一緒に暮らそうと言ってきているのは「私に服従すれば来年の祟りでは助けてやらんこともない」というサインである、と受け止め、梨花に絶対服従しながら暮らすかも知れない。
 うわぁそれイヤな生活だな。ある意味虐待されてるよりプレッシャーだ。




 話変わりますが、大学の頃にレポート課題で調べた、“沖縄の巫女さんが巫女さんになる前に示す症状”ってのが、非常にオヤシロ様のそれにそっくりです。
 神様がどこまでも後ろをついてくる、とか。
 どこまで逃げてもやっぱりついてくる、とか。
 毎晩毎晩枕元に立つ、とか。

関係あるのかねぇ。