双子の扱いの違いは右手と左手の違い、鍋つかみがひとつしかないなら利き手に填める――と、綿流し編で詩音は言いましたが、
あれは目明し編の冒頭で触れられていたダム闘争時の非合法活動の事を言っていたのかな、と思いました。


 昭和57年綿流し後、詩音が魅音の髪型で街をうろつき、悟史と出会い、そして大石達警察に囲まれ、悟史のアリバイを証明するべく自らの正体を明かしたとき、大石達警察は「園崎詩音」の存在自体を把握できず、混乱していました。


詩音は小学校に上がる時点で興宮へと移されたため、
ダム闘争時もまた、詩音は警察に存在を認識されていなかったものと思われます。


詩音はダム闘争の抵抗運動に参加し警察にしょっぴかれた事を回想していますが、恐らくあの時名乗った名前は「魅音」だったのでしょう。


となってくると、あの汚れ役の存在を暗示させるような鍋つかみの例えとか、綿流し編でこめかみに機動隊に殴られた傷跡がある、と語っていたのが魅音だったのかそれとも詩音だったのかなどを考えてゆくと、当時、組のチンピラを率いて妨害工作を行ったり、実際に補導されたり、現場監督と取っ組み合いをやらかしたのは魅音ではなく全部詩音の可能性もある、と思えてきます。


というか、あの頃魅音は雛見沢に二人いたという事になるわけです。


それが現場監督の死と密接に結びついているかは、まだわかりませんが…。