白川自然公園転落事故検証

 今日は二年目の祟りこと、昭和55年、白川自然公園転落事故について検証してみたいと思います。



 まず、鬼隠し編のTIPSや他編の記述、大石の情報などからまとめた事故の概要は以下の通り。



 昭和55年6月19日午後2時頃、雛見沢在住の会社員、北条X(沙都子の継父)と北条XX(沙都子の実母)が、県立白川自然公園内の展望台から27m下の渓流へ転落。
 警察と消防で下流を捜索した結果、同日午後7時、北条Xの遺体を発見。
 共に転落した北条XXの遺体は未だ見つからず。

 渓流は事件先日の台風3号の影響で増水しており捜査は難航した。

 両親の死に際し、子供達二人の供述は、
 沙都子は「車の中で寝ていた」と証言。
 悟史は「野球の試合に出ていた」と証言。
 
 夫妻は展望台の柵にもたれていて柵の破壊に伴い転落したとみられる。
 展望台の柵の老朽化は確認された。




…次に、この事件に関連するかと思われる補足情報をまとめてみます。


・昭和50年10月、雛見沢ダム計画発表。
 反対活動に際し、鬼ヶ淵死守同盟成立。 
 補償金を元に遠方の親戚の元で生活を再設計するというプランを立てた北条家は、村内唯一の計画推進派となる。

・昭和52年、沙都子が継父である北条Xに対し虐待を受けたと訴える。
 児童相談所の調査の結果、沙都子の虚偽報告とされる。
 父子間の軋轢が問題とみなされ、北条Xの市主催による育児ワークショップの受講、また沙都子への指導などが対応処置として取られる。

・昭和54年、雛見沢ダム計画凍結。
 北条家は目論見を潰された形となる。

・昭和55年、事故発生。
 死後に、生活が苦しかったはずの北条家の口座から多額の預金が確認された。




 以上の情報の中から、おかしな点を挙げてゆきます。



 まず、事故発生時の悟史の言い分が妙です。
 野球の試合に行っていた、という事は両親との旅行への同行を拒んでの参加という事になります。両親との折り合いの良かった悟史には他に特に断る理由もなさそうです。
 しかし悟史が雛見沢ファイターズに加入したのは、目明し編の入江の言によれば事故以後のことになります。そして、悟史が行っていたという「試合」が少年野球チームのものではなく、普通の友達との草野球であった場合は、家族旅行の同行を断ってまで参加する理由に欠けるものがあります。
 もちろん「何らかの理由で悟史だけ旅行に誘われなかった」という事も考えられるのですが、事故後、どうして夫妻がこの日家族旅行をしていたのかを推察した大石は、その理由を「この時期の雛見沢には居づらかったのではないか」としています。もしも北条夫妻が綿流しの日に旅行に行っていた理由が本当にそれならば、悟史ひとり置いてゆくとも思えません。悟史もまた雛見沢では白眼視されていたわけですし。


 次に、北条夫妻の旅行の理由が不審です。
 「綿流し祭の時期に雛見沢に居づらかったのではないか」という推測ですが、…そもそも、どうして居づらかったのでしょうか。
 昭和50年の計画発足以来、北条家は殆どの時期を村八分扱いを受け過ごしてきました。
 事故発生は55年ですから、実に4年半くらいもの間そのような仕打ちを受け続けてきたことになります。
 そういう針の筵で何年も生活しておきながら、「ダム計画ももう凍結となり、綿流し祭の喧騒に沸き返っている雛見沢にいたたまれない」……というのはどうも、説得力に欠ける気がします。
 昭和55年の時点では、連年の祟り怪死もまだ初年度、つまり現場監督殺人しか発生していないわけですから、祟りに対する恐れもそう高まってはいないだろう、と踏んでいたのですが……
 もしかしたら、北条夫妻は先年の現場監督殺人を見て、警戒して綿流し祭の日に雛見沢を離れていた、のかも知れません。


 最後に。北条夫妻の口座に残された多額の預金が、非常に怪しいです。
 北条家の生活は苦しいと表現しても差し支えのないものだったらしい記述が、複数箇所で出てきます。
 なのに口座の預金額はその事実を否定しています。
 しかし両親はその金を使用することなく、苦しい生活を送り続けていました。
 ここから、悟史は「両親がダム計画推進派の取りまとめをして国からお金を貰っていた」という推測を立てていますが、これはちょっとおかしい気がします。
 なぜなら、ダム計画推進派は早々に北条家一家となり、取りまとめをするどころか、北条家は村内の反体制派としても全く役に立たないような状態だったからです。
 村内で一軒だけの賛成派…というのはまあ、存在自体役には立つでしょうが、裏から多額の金を食わせて維持するほどの必要のあるものとは、ちょっと思えません。
 ……ですが、この悟史の考えは別の意味で当たっていたのかもしれません。
 つまり、ダム闘争が火の粉を撒き散らす雛見沢において、誰かが孤立する北条家に多額の現金を与える。そのメリットを考えると、…やはり北条家は、国や建設省の依頼を受け、ダム計画推進派の取りまとめをしていたのかも知れません。ただし、あくまで水面下において。
 暇潰し編で語られているような、村内の世帯の経済状態を考えると、表向き御三家や死守同盟に従ってはいるものの、本心では計画に賛成したいと思っている「潜在的な計画推進派」という家が、村内の低所得世帯を中心に相当数存在していた可能性があります。
 それらをあくまで上にバレないように水面下でとりまとめ、団結させ一種の裏のつながりを形成していたのが――北条X、だったのではないか、という事は考えられます。
 ダム計画が進み、御三家あるいは死守同盟の制裁が及ばないような状況になったら、北条Xが取りまとめていたその家々が一斉に賛成派に鞍替えし、補償金を貰って早々に雛見沢を出てゆく、そういう算段だったのかも知れません。
(ダム計画とか大規模工事の立ち退きとかに関する住民側の記録資料とか見てるとそういう生々しい話が割と出てくる)
(つうか対立によって発生する住民間の憎悪の描写とか生々しすぎて読んでて嫌になった)



 多分おそらく、北条家は自分達同様に生活の苦しい世帯にこっそり声をかけ、潜在的な計画賛成派の派閥を秘密裏に村内に形成していたかと思われます。
 この派閥の名称を、とりあえず「雛見沢水没同盟」とします。(…そんな名前なのかよ)
 この、雛見沢水没同盟ですが、
 影響力のない北条家が単独で手綱をとっていたのではなく、
 裏に御三家の一人がついていた可能性が考えられます。
 で。
 この、裏で協力をしていた御三家を古手家とした場合。
 連年の祟り怪死が、村内の私的制裁として見えてこなくもありません。



2年目の祟り
 雛見沢水没同盟盟主 北条夫妻

3年目の祟り
 雛見沢水没同盟黒幕 古手夫妻

4年目の祟り
 雛見沢水没同盟協力者 北条(弟)夫妻



 彼らは、ダム計画推進派として密かに動くという裏の顔を持っていたのではないでしょうか。
 北条夫妻の口座に使われることのなかった多額の預金があったのは恐らく、その活動が順調だったという証ではないでしょうか。
 北条Xが、自身を白眼視しなかった中立的立場の古手神社神主、そしてまた肉親である弟夫妻にも活動への協力を依頼した事は、十分に考えられると思います。



 以下は完全な妄想推理です。
 昭和51年頃くらいでしょうか。
 恐らく、村内の重鎮でもあり、最低でも中立的態度を崩すわけにはいかない古手家当主(梨花の父)は、北条Xの協力要請を無下にする訳にもいかず、名前を貸す程度の協力をしたのだと思われます。
 そして、北条Xは実弟の鉄平夫妻に協力を依頼。鉄平は協力的ではありませんでしたが玉枝は協力を承諾、活動することに。(理由は多分金)
 国側からの内金とか、時には御三家の一角の協力を得ているなどの事柄もちらつかせ、北条Xは村内の低所得世帯を中心に潜在的な計画推進派の派閥を形成します。
 派閥内に所属する彼らは皆表向きダム計画反対派の姿勢を示しており、時が来るまではこれまで通り、死守同盟に忠誠を誓ったり、抵抗運動に参加したり、北条家を白眼視したりします。(日和見
 そして昭和52年、沙都子は義父との関係悪化や村内での白眼視に耐えかね、虐待を偽装し、村内で孤立する原因とも言える父に罪を被せようとしますが、失敗。
 とまあ色々あったものの、北条Xはやがて水面下においてそれなりの層の取りまとめに成功しますが…
 昭和53年、建設大臣の孫誘拐という園崎の荒技によってダム計画の凍結が確定してしまいます。
 そして同時に、園崎以下の死守同盟の面々は、ある程度把握していた村内の潜在的な計画推進派……反体制勢力の見せしめに乗り出します。恨みの順番に。
 首謀者の北条夫妻を消し、
 裏についていたらしい古手夫妻を消し、
 北条玉枝を消します。



 古手妻の失踪には遺書等不審な点も多く、
 また北条悟史の失踪に関しても目撃証言等に不審な点があります。
 もしかすると、この二人の失踪は誰かの書いたシナリオの外側で起きてしまった出来事のために、後付けでしか証言/遺書/犯人役等を用意できなかった、という事かも知れません。



 一年目の現場監督や五年目の富竹ジロウは…別の件を嗅ぎ回っていた絡みで殺されてしまった、ようにも思います。
 恐らく、ダム工区が関係あるとは思うのですが…。




 とりあえず、今日の結論としては、
「雛見沢には潜在的なダム計画推進派の層が北条によって形成されていたと思われる」
 って事で。




追記:
 ああ、でも駄目だ。園崎って祟り殺人の執行者知らなかったんだっけ。
 …って事は祟り殺人は、村内に見せしめをしようとする園崎の執行ではなく、また詩音の拷問を受けても喋らなかった公由の執行でもなくて、
 北条が形成した推進派の層の連中の何らかの目的をもった内部制裁による処刑…みたいに考えておくべきなのかな。