今日は、昭和54年の現場監督殺人について情報をまとめてみます。



 この被害者となった現場監督ですが、昭和53年の暇潰し編に登場する彼に関する情報をまとめてゆくと、


・大石からは「おやっさん」と呼ばれている。
・大石と面識があり、麻雀を打つ仲。赤坂とも面識あり。
・口が悪い。
・昭和53年時、第一工区の現場監督で、第二工区も任されるんじゃないかという話。
・激しい反対活動の中で仕事を強いられるためか給料は高い。
・「園崎の小娘」に好感情を抱かない発言をしている。
・そして雀鬼と化した赤坂からは何度も「ヌルいよ、あんた」と評されている(笑)。


 こんな感じです。



 これに、昭和57年、圭一が拾った週刊誌に書いてあった現場監督殺人事件に関する記録、また圭一に対する大石の発言から読み取れる、昭和54年時の現場監督の情報を加えると…。



・日頃から作業員を苛めていたらしい。
・事件発生の数日前、園崎魅音と取っ組み合いの喧嘩をした。
・事件当日、6人の作業員の酒盛りを咎めた。
・襲われた際、シャベルで抵抗した。



 こんな感じになります。



これらを踏まえつつ、“一年目の祟り”こと現場監督殺人の流れを追ってゆきます。




 昭和54年6月14日午後9時頃。ダム工事現場内の作業事務所にて、現場監督は6名の作業員(XXXX、XXX、XXXX、XXXXX、XXXX、XXXX)が酒盛りをしているのを発見、注意を加えます。
 しかし、現場監督の日頃の苛め的な態度から鬱積していたものが爆発したか(ただし集団での犯行の動機については供述に食い違いも出ている)、作業員6名は鉈やつるはしを手に取り、現場監督へと襲い掛かります。
 現場監督はシャベルを手に取り応戦。
 抵抗を受け、作業員XXXは負傷。
 最終的に、作業員6名は現場監督の殺害に至ります。
 殺害後、作業員のうち1名(主犯格と見られている)が遺体の各自隠蔽・処理を提案。
 その為に遺体の各自切断・六分割を強要。作業員達は抵抗の色を示すもやむなく従い、嘔吐しながらそれぞれ遺体を切断。
 最期まで遺体の切断に抵抗していた作業員XXXも、XXXXの「いまさらもう一人殺したところで同じことだ」という発言を受け、やむなく指示に従います。
 XXXXは自分にあてがわれた遺体の一部、右腕を「沼に捨てにいく」といい、そのまま消息を絶ちます。後に沼近くから乗り捨てられたXXXXの乗用車が見つかります。
 別の日(恐らくは翌日か)午前8時、犯人グループの一人XXXは監督襲撃時に負傷した傷の手当てに訪れた鹿骨市内の病院で(勤め先がダム工事現場である事と、興宮と雛見沢の距離を考えると、入江診療所の可能性が高い)、犯行を自供。
 それによって5人の作業員が逮捕されます。(XXXX、XXX、XXXX、XXXXX、XXXX)
 しかし遺体の切断を命じた主犯格と思しきXXXXは所持していたと思われる遺体の右腕ともども発見されず、また逮捕された5人の供述もバラバラで、齟齬の大きいものでした。
 XXXXの行き先と思われる鬼ヶ淵沼でダイバーによる捜索も行ったものの、XXXXは発見に至りませんでした。
 また、事件発生の数日前、被害者は抵抗運動の主要メンバーでもある園崎魅音と取っ組み合いをしている姿が確認されていました。





<ちょっとだけ考察>


 一番おかしいな、と思う点は、5名の供述がてんでバラバラな点です。
 酒盛りを咎められたため殺した、という人もいれば、そうでないと言う人もいる。
 まあ、犯人達は被害者に対し日頃から好感情を抱いてはいなかった様子ですので、殺害に至るまでの理由が複数あってもいいようにも思いますが、しかし集団での殺害行為である以上、殺害の直接の引き金となった行動に関しては一致していなければおかしい、と言えるでしょう。
 合致する証言がひとつもない、という点は特に問題であると言えます。
 


 うーん。
 割と適当な推理になってしまうのですが。

 作業員達がせん妄状態にでも陥っていて、その人格の抑制が弱まった状態のところへ、
皆が憎しみという底意を抱いている人物が現れ、自分達をののしったとしたら……誰に誘導されずとも、殺害へと発展してしまうかもしれません。
 この場合は、酒に細工がしてあったと見るべきでしょう。


 街から離れた雛見沢のダム工事現場で働き、なおかつ酒盛りを咎められるような日常におかれている彼らの場合、酒の入手経路はごく限られます。
 雛見沢の商店あるいは自販機で購入するしかないだろう、と思われます。


 また、この事件の起きた日というのを考えてみると、6月14日……つまり綿流しの日です。
 この事件の起きる一年前、つまり昭和53年時に赤坂が目にした「綿流し祭」は、神社の境内にテントをいくつか建て、村の老人達が集まって酒を酌み交わすだけの、祭とも言えない集まりでした。梨花も、また余所者の赤坂も気持ちよく迎え入れられての酒盛りとなっていました。
 同様に、昭和54年時の「綿流し祭」もまた、似たような光景であった事が考えられます。



 つまり、
 「今日はお祭」という事で、ダムの現場作業員の一部にも酒が渡った。
 しかしその酒には何かが仕込まれていた。
 いつもは険悪な村人も、村祭の日というせいか打って変わった親切な態度で酒を差し入れてくれた、という事に安心した作業員達は、頂いた酒を作業事務所で酌み交わします。
 そしてせん妄状態に陥ります。
 そこへ訪れる現場監督。いつもの調子で、作業員達を叱ります。
 普段の監督の態度もあり、簡単にリミッタの外れやすくなっている作業員達は意識が曖昧なまま現場監督に襲い掛かり、そして殺してしまいます。
 酒の効果が切れて我に返ると、目の前にはなぜか現場監督の遺体。
 どうしてこんなことになったのか今ひとつわからないまま、とにかく遺体を分割し各自に隠蔽するつもりの彼らでしたが、主犯格の男は遺棄地点に鬼ヶ淵を選んでしまいます。
 そして男は車で鬼ヶ淵のそばまで行き、
 遺体の右腕を持って鬼ヶ淵に近づこうとして――
“綿流しの日に鬼ヶ淵の近くにいる誰か”と鉢合わせしてしまったのではないでしょうか。
 そして、消されてしまったと。




 …。
 やっぱり入江かなあ。「差し入れた」方は。