ぼくのかんがえたひぐらしのなくころに・こんしゅーまばん
<コンシューマ化にあたりひぐらしに選択肢をつけるか否か>
本家の製作日誌の方でちょっと触れられていたので、今日はこれについて愚考してみたいと思う。
コンシューマ化っつってもひぐらしに選択肢はいらないんじゃ?と私も思ったのですが、よくよく考えてみれば、進めるのにコントローラのボタン一ヶしか必要ないゲームはゲームじゃないんですね。
たしかに商業ベースでそれは通らないでしょう。…まずプラットフォームが無意味だし、それに「本当に文字通り、ただ移植するだけ」になってしまいます。
…いやいや、1ファンとしては「そのまま移植すりゃええやん」とか思うんですけどね。それじゃ通らないのが社会であり大人の世界であり業界というもんでしょう。
付加価値をつけなきゃファンにすら売れない。商業の常識ですね。
これは例えば、選択肢なしのまま「出題編」と「解答編」を切り離して発売し、“推理”というゲーム要素を与えようとしても同じ事でしょう。
ユーザーの目にはただの前後編の(恐怖)推理小説としてしか映りませんし、そもそも“ゲームの中にゲーム性がなければ”コンシューマでも受け入れられないと思う。
生臭くて嫌な話だとは思うんですが、…何千円って金を払ってソフト買うってのは、結局はそういう問題にぶつかってしまうからなぁ。
必死にお小遣いためてソフト買う子供とかもいるような市場ですしね。
…そこで、ちょっとだけ考えてみました。
<ぼくのかんがえたひぐらしのなくころに・こんしゅーまばん>
まず、八編とは別に、「出題編」でも「解答編」でもない「回答編」みたいなシナリオを一本書き下ろし。
これは純粋なサウンドノベルで、選択肢あり・文字入力ありで、八編各編の要素を含みつつ、最後まで正解を選択し続けるとひぐらしのトゥルーエンドへと到達するシナリオ。最初から選択できる。ただしめちゃくちゃ難易度が高い。
で。メインメニューがこんな感じになっている。
鬼隠し編 (正解率1%)
綿流し編 (正解率?%)
祟殺し編 (正解率?%)
暇潰し編 (正解率?%)
目明し編 (正解率?%)
罪滅し編 (正解率?%)
皆殺し編 (正解率?%)
祭囃し編 (正解率100%)
回答編
八篇の物語を、プレーヤーがそれぞれ自分の好きなところまで読み、そして「回答編」に挑む事ができる。(全く読まずに挑むこともできる)
ただし回答編は物凄く難しいので、何も知らないプレーヤーが挑むとあっさり轟沈。
むしろ、PC版を全編プレイ済みのプレーヤーが挑んでもあっさり轟沈。
で、選択肢を間違うと知恵留美子あたりが出てきて「教えろ!知恵留先公!(タイトルバック) テメェェ…前原ァァ! こんな簡単な推理間違えやがって! ○○し編もっぺん読み直してこいやドラァ!」とかヒントをくれる。(…ヒントか?)
そして、綿流し〜祭囃しまではシナリオロックがかかってて、前の物語を読まないと次の物語が読めなくなっている。
一応、祭囃し編(正解率100%)まで読めば回答編で提示される謎には全て答えられるようにはなっているのだが、…それでも、得た情報をいろいろ脳内補完して自分で考えないと正解には辿り着けないようになっている(笑)。
正解率1%の壁に挑みたい人にも、出題編だけで読み解きたい人にも、八編全部プレイしちまったぜというPC版ユーザーにも、俺はサウンドノベルがやりたくてこのゲームを買ったんだというゲーマーにも、そして奇妙な世界にことごとく触れ、すべての謎を余すところなく解明したい人にも、大人も子供もおねーさんも。
皆に楽しいゲームとなるでしょう。
問題は、選択肢一切なしの状態で、鬼隠し編前半の部活部分を超えられるかだな…。
いや私は好きですよ? はじめ、ただのギャルゲーかと思ってやってたのに、ゾンビ鬼でいきなり情報戦が始まった時は「へえ…。」と真剣に画面に見入ってしまったし。
ただ、「鬼隠し編のお祭までが壁だ」って言う人もいますからねぇ…。
などと妄想してみる深夜0時。