皆が納得のゆく真相とか考えてみる
<皆が納得のゆく真相>
謎の組織の大陰謀によって雛見沢が滅ぼされる結末が薄っぺらい、
鷹野の安っぽい黒幕ぶりがひぐらしの重厚な悲劇の構造に相応しくない、て感想にはまあ納得する。
でも、それならばどのような結末なら皆が納得のゆくものとなるのだろうか。
ちょっと考えてみる。
まず、山狗とか東京の存在、鷹野や富竹や入江の裏設定は外さないとダメそう。
たぶん「正解率1%」に引っ張られて集まったプレイヤーの皆さんてのは(私もですが)そもそもの姿勢はもちろん、出題編の物語に触れてゆく中で、
「様々な人物の様々な思惑が絡まった結果、謎の構造が見えなくなっているだけであり、恐らくは村全体を滅ぼすような結果をもたらしたいと考えている真犯人てのが、その交錯する思惑の裏側に隠れているだけだ」
…だいたいこんな風に考えていたんじゃないかと思う。
で。プレイヤーの憶測をいい意味で裏切らない解答としては、山狗とか鷹野とかが裏設定もちの黒幕である、というものは…ちょっと妥当とは言いづらい。
ありていにいって少し乱暴すぎてしまう。
何でかというと、裏のつながりを持つ暗殺部隊とか隠密部隊とか、彼らはとても強大な敵過ぎて、それこそ…何でも可能になってしまうためだ。
大災害はおろか、(違うのだが)怪死事件すべての黒幕たり得てもおかしくないくらいの殺人の能力を有した、重量級の黒幕と言える。
「村の祟りがいい隠れ蓑となった、この秘密組織の犯行でした」ではちょっと困る。
なぜかというと、人を気まぐれに殺していく対応策のない「祟り」と正直大差ないからだ。
大差ないってのはその『脅威度』のことではなくて、『推理が到達するか否か』である。
正直、出題編からその答えに到達することもできるだろう。
だがもしその答えに到達できたとしても、誰も信じられないのもまた事実。
ゆえにこれは、答えに辿り着いても、誰も正解することができない問題である、と言える。
何でそんな事お前に断言できんだよ、と思うかも知れないが…要するに簡単に書くとこう。
“雛見沢には未知の症候群が存在し”
“その研究機関が設立されており”
“機密保持のための特殊部隊も待機していて”
“症候群による村人全員発症、という突発的事態を防ぐため、村全滅の作戦まで存在する”
どれだけあちこちに手がかりが散りばめられ、組織の存在を匂わせる文章があったとしても。
この推論に辿り着いたとして、これを疑いなく、俺が正解だと思う答えさ!と言い切れる人はいないからだ。
そういう意味では、皆が割とあっさり辿り着き得る推論が解答でありながら正解率0%であるというこの「ひぐらしのなく頃に」という問題は、斬新というか、コロンブスの卵的なものがあったとも思う。
まあコロンブスは卵立てた直後に「ずるい」と文句言われたわけだが。でもこういうのは一手段であり手法であって別にズルじゃないとも言える。
…と、まあそんなわけで。
・富竹や鷹野や入江や山狗の裏設定を外し、様々な背後関係をなくしてゆく。
・真犯人を少数の人間に設定する。
・ほとんどの死亡事件を真犯人あるいは真犯人に誘発された下手人の仕業とする。
・殺人方法に未知の薬品を用いない。
・殺人方法は作中に示唆されたもののみの使用とする。
・超常現象には相応の(既知の)科学的説明をつける。
と、こんな縛りをつけて、出題編あるいは罪滅し編までに解をつけられないかなー、…なんてちょっと考えてみました。
で。一応、五年間の怪死事件と大災害と足音聞こえる症状とか人が消えたりとか…その辺に、一通りの解釈をつけることはできたんですが。
なんつーか、真犯人を一人にしてみたら話が急に物凄く安っぽくなってしまいました。
あとやっぱり梨花が説明できん。羽入やループ抜きだと予知が不可能。
うーん。安っぽいのはともかくとして、
羽入やループ抜きで、梨花の行動に説明をつけるってのは不可能だろうか…?
<今は例えるなら7ゲージ溜め>
某掲示板にて、
「ひぐらしとfateどっちか買おうと思ってたんだけど、どっちが面白い?」
て質問があり、色々な人が色々な意見を述べていたんですが、その中の
「ジャンルが違うから比べられんが…評価を見るなら、ひぐらしは賛否両論、fateは安定した評価」
という意見を見て、ちょっと…想像して怖くなった。
いや、ちょっとあなたも想像してみてくださいよ。
“もしもfate/stay nightがひぐらしのなく頃にと同じ発表形式だったら”
一編目:「fate」 …… 大好評。
二編目:「unlimited blade works」 …… 大好評。
三編目:「heavens feel」 …… こっ、怖ぇぇぇーーッ!!
いや、私は好きだ!好きだよ三順目!綺麗事以外の描写とか誠実にこなしてるし!
でももし、一括ではなく間を置いて順番に発表してたら……ガクガクブルブル。
内容に全く変化がなくとも、現状よりも作品全体に対する評価が下がっただろう事は確実だろうな…。
少なくとも安定はしなかっただろう。(桜ルート、いいと思うんだけどなぁ…。)
ABがともに同じ作品の一部であっても、Aが発表された後にBが出されたら、Bの方により期待が向けられるだけじゃなく、「A<Bでなければならない」という認識が皆の頭の中に植えつけられるのはどうしようもない事かも知れない。
ミステリ風の物語であるが故に、物語の各パーツにはそれぞれ「謎を提示する」「解を提示する」という役割があるから、忠実にその役割に徹した各パーツを書いてけばいいんだ、というのは確かに道理だが。
…それでも、その作品の分割数が増せば増すほど、享受者である皆の脳内にはどうしたって極端な不等式が成立せざるを得ない。
要するに皆の期待がパワーゲージ溜めみたいにどんどん膨れ上がっていくのが、連作、というものの恐ろしさかも知れない。
つうかぶっちゃけ次回作を出すならこの発表形式だけはやめた方がいいと思う…。
パワーゲーム必至だし…。
mixiにて、どうやら日記タイトルが鬼編以降を読んでない方の眼にも触れているらしい可能性があったためこのブログへの直結を外しました。
つまんないとこで楽しみにしていた作品のネタバレすんのも嫌だしね。