梨花の死を知った後で入江の取るだろうアクション>


 皆殺し編エピローグ手前で、「緊急マニュアル」の文面が出てきます。
 その文面を通して見ると、末期発症者発生やら、情報漏洩対処やら、果ては34号の執行に際してまで、その最終決定者は「施設長」という事になっています。
 キャライメージとかけ離れていたせいか綺麗に頭からすっ飛んでいましたが……この「施設長」てのは、入江機関のそれに該当する単語なんですね。
 つまり施設長=入江京介。
 そう考えてゆくと、34号マニュアルに従って村を全滅させる際も、そこには必ず入江の決定がなければならないわけです。
 で。決定を下せないような状況であれば、長官(防衛庁長官の事らしい)に決定権移行となるとも書かれており、…つまりエピローグ付近のあの展開は、入江の死によって長官が34号の決裁を下した、という事になるのでしょう。(実際は長官もまた総理に面会して決裁を仰いでましたけど)


 ――ここで入江の死についてもう一度考えてみたいのですが。


 梨花が殺された段階で、この34号の発動というのはいわば雪隠詰めであり(ハメ手と言ってもいい)、既に時間の問題のはずです。
 で、『村人皆殺し』を決断しなければならない立場にあるのが入江京介です。
 もちろん雛見沢には入江の知人友人が大勢住んでいるわけだし、またその大量虐殺の決定を下すべき入江もまた感染者だったとしたら、彼が下すべき決定を下せない可能性だって当然あるわけなんですが……しかしまあ、鬼編〜皆編までのキャラ描写や、急性発症者っぽい挙動を示す人物への感情を省いた対処を見るに、恐らく入江は決断を躊躇わないだろうと思われます。
 泣く泣く34号にゴーサインを出さざるを得ないでしょう。
 しかし。入江は毎回毎回、梨花が死んだ後、大災害の前に、睡眠薬自殺っぽく死んでいます。
 …梨花の語るところによれば、各編でほとんど変わらない事ってのには強い意思が働いているそうです。
 これが例えば「自分には親しくしていた雛見沢の皆を殺す決断なんて出来ないから死ぬ」という強い意思に従うものである、ということであれば理解できます。
 しかしその場合でも、緊急マニュアル34号の決裁が一刻を争うモノである事に変わりはありません。事態の緊急性を理解しているはずの入江ならば、決定権の移動先である長官に対し「自分の代わりに決裁してくれ」と電話の一本なり遺言なり残しておくのではないかと思われます。
 しかし入江はただの一度も遺言を残さず、必ず院長室で、必ず睡眠薬自殺をします。
 ぶっちゃけ山狗の工作くさいです。


 で。この点についてなんですが…
 私は「緊急マニュアル34号実行の最終決定権を持つ施設長の入江は、たとえ梨花の死を知ったところで、その決定を下す事はなかったのではないか」などと考えています。
 その理由については、以前この辺で書いた、
http://d.hatena.ne.jp/oramuda/20060427
「女王感染者死亡に際し発生する“全感染者末期発症”というシミュレーションの否定」が、昭和58年6月の定期報告にてなされたからではないか、と推測します。
 …入江機関の報告の内容を東京に持ち帰るべき富竹は現地で怪死。
 …また、「全感染者末期発症などあり得ない」ともう知っているからこそ、梨花の死に際して34号の実行を打診されてもその決定を下す事はなかったはずの施設長・入江もまた、遺言を残さずに不審死。
 こう考えたとすると、入江の死は口封じであると同時に、長官(ひいては総理)に34号を決裁させる為の工作であった――という風に見る事もできます。


 ただ、入江が梨花の事を重要視しているのは事実です。保安担当の鷹野ともども、彼女の身の安全に特に気を遣っています。入江は女王感染者やら全感染者末期発症の可能性やらについてこそ一切触れていませんが、しかし梨花については「この村の中で彼女以上に重要な人間はいない」とまで言及しています。
 …これはつまり。実験に協力してもらっていたという話や、功労者として見ているあたりから考えても、入江はやはり梨花を“女王感染者”として研究対象としていた、という事になるのでしょう。
 で。「“女王感染者”である梨花に厳重な警護をつけ、その身の安全に配慮する」という彼らの行動はそのまま、「梨花に危害が加わるとかなり面倒な事になる」という見解を示してもいます。
 この点だけ見ると。
 まるで入江は、「全感染者を末期発症させない為に梨花の身を守っている」ようにも見えるのですが…
 それは違うのではないか、と私は考えます。




 …理由は、皆殺し編終盤付近の梨花の言動です。




梨花の嘆きと彼女の死角>


 皆殺し編最終日。
 梨花は学校を休み、自分の死後に遺される沙都子の事を考えます。


“…私が死んだ後に残される沙都子は、……どんな思いで生きていくのだろう。
 私がリセット感覚で投げてきた世界は、私にとっての幕が降りただけで、それぞれの世界はそのまま続いてゆく。”


 で、この部分を読んだプレーヤーの皆さんは十中八九こう思ったと思います。


『いや、アンタ知らないだろうけど死んだ後でだいたい大災害起きてるし。
 沙都子も高確率で死んだり行方不明になってるし』


 でも冷静に見るとこの梨花の台詞、ちょっと変なんですね。
 死後に起こる大災害の発生を知らない=自分の死後も平和な雛見沢が続いてゆく、と梨花が考えるのはちょっと不自然なんです。


 何で変なのかっつうと。
 ・雛見沢症候群の事を知っていて、
 ・(身近に沙都子という実例がいて)その症状についても詳しく知っていて、
 ・特別扱いされてる事も、雛見沢における自分の重要性も認識していて、
 ・山狗の警護がついてる事も知っていて、
 ・雛見沢に自分を殺して得をする人間がいないと断じられる彼女が、
 なんで、自分の死後の世界の事を考えてみて、
 「死後に起こる全感染者末期発症の可能性」を少しも思い描かない
のでしょうか。


 女王感染者という単語や、全感染者末期発症というシミュレート結果を梨花が知り得ているという記述はありません。(入江にも鷹野にもないですが)
 ゆえに、梨花には「彼女の死後全感染者が末期発症する」というショッキングな事実が伏せられている可能性もあります。
 しかし。梨花自身、己の身の安全の重要性をわきまえた会話を入江や鷹野と交わしもし、実際に警護をつけられているくらいです。「梨花の死が何らかの影響を及ぼすだろう」という見解は、入江機関が確かに下しており、また警護をつけられる等の対応を受け入れている事から考え、梨花も自らに下されたその見解を把握しているものと思われます。
 …と、考えてゆくと。
 「女王感染者の死に伴う全感染者末期発症」という事態が想定されているのであれば、それは何らかの形で梨花の耳に入っているものと考えられるわけです。
 村が丸ごとひぐらしのなくこロワイヤルになる事を伏せておくにしろ何にしろ、“自分の身の危険=村の危機”ぐらいの事は曖昧にでも伝えておくと思われます。
 ゆえに。
 …自分のいなくなった世界にて、自分の死の及ぼす影響を「皆が悲しむ」ぐらいにしか想像しない梨花は、少なくとも、“自分の死後村人達が末期発症する”という話はまったく知らないのだろうと思われます。



 ――上で述べた考えの補強ですが、梨花は少し後でこうも言っています。


“私はのうのうと次の世界で仕切りなおしの生活を始めるのだろうか。
 …そんな私が3日過ごす間、…この世界では悲しい時間が3日も過ごされていく…。”


 女王感染者志望から末期発症のリミットは48時間、つまり2日です。
 どういう形であれ、残された者達が悲しい時間を“3日”過ごすことはあり得ないと言えます。
 このシーン、梨花がただその可能性を忘れているだけ…にしては幾度も、“私の死後も世界は続いてゆく”が強調されています。
 つまり、このモノローグはひょっとすると「3日悲しい時間が続いていくと思える梨花は、自分の死後48時間以内に全感染者末期発症が起きるなんて欠片も思っていない」という伏線、なのかも知れません。
 …考えすぎかも知れませんが。




 んで。
 じゃあ仮に、梨花が自分の死後に全感染者末期発症するなんて思ってなかった(知らなかった)としたら、どうなるのか。
 さて、ここから先もまた多分の推測を含むのですが…。



 女王感染者の存在と、その死に伴う全感染者末期発症という事態の想定については、皆殺し編滅菌作戦ちょい前に出てくる、「カタカナと漢字のみの文面」にて語られています。宛先は戦争最高会議の小泉大佐。執筆者は高野一二三。
 つまり戦時中、昔の文献なわけです。
 雛見沢症候群の研究は、東京から派遣され研究所を建て「依頼されて一から研究を始める」形になった入江が先駆けになるだろうと思われますから、この高野一二三という人物は入江の先任などではないのでしょう。
 ただし東京は高野一二三の報告した事態を想定する形で「緊急34号マニュアル」という作戦案をキッチリ用意してましたから、その作戦案の立案当時は、この集団末期発症の話はそれなりに信憑性を持って受け入れられていたものと思われます。軍だか東京だかに。
 で。
 後年、東京から遣わされ雛見沢にやってきた入江は症候群の研究を行ってゆくわけですが……その研究を続けてゆく内に、“女王感染者の死が集団末期発症を引き起こしたりはしない”という回答を提示するに至ったのではないでしょうか。
 …ただし。
 そこで入江が出した答えというのは、「女王感染者の死が一般感染者に対し全く影響がない」といったようなものではなかったものと思われます。
 「一般感染者多数の症状が全体的に多少悪化する」とかそのくらいのレベルのものだったのではないか、と思われます。
 無論それは避けるべき事態ですから、梨花を重要視もしますし、警護をつけもしますし、自重をお願いもします。
 ですが、梨花が仮に死んだとして確かに事態は悪化するけど、何も34号を発動させなければならない程ではなかった。村全体を滅ぼす必要なんて全然なかった。
 で。入江は自ら得たその「女王感染者の生死の一般感染者に及ぼす影響は昔東京で考えられてた程でもない」という研究結果を、梨花に対しても既にレクチャーしていたのではないでしょうか。
 で…その研究結果の「正式な」報告は昭和58年6月になされるはずだった。
 けれども、その報告を聞いた富竹が怪死します。
 やがて、自分の死後に思いを馳せながらも(入江から既にその可能性を否定されているために)末期感染者が大量発生するという未来を想像する事のないまま、梨花も死んでしまいます、
 そして、梨花にレクチャーした通りの理由で、34号の決裁を「下さない」判断をするはずだった施設長もまた、死体となって発見されてしまいます。
 その結果――防衛庁長官へと決定権が移り、34号が決裁されてしまったのではないでしょうか。



 以上。
 ・入江が毎回同じ死に方をする理由
 ・梨花が「村人全員が末期発症する」という未来を思い描かない理由
 ・目明し編後に大災害が起こらない理由
 に、ひとつの説明をつけてみました。
 長文ですいません。生きててすいません。