アニメ5〜8話・綿流し編感想

 って十日も経っているっ。
 アニメ祟殺し編が終わっちまいますね。


<アニメ5〜8話・綿流し編感想>(…遅えなオイ)


綿流し編あらすじ)
 圭一は同じ人形を3体も手に入れるのですが魅音には1体もあげられませんでした。



 綿流し編のあらすじを一行で書くとこんな感じでしょうか。…魅音…頑張れ…。
 んー、原作の方でも綿流し編鬼隠し編よりも難易度的に劣るという記載があるんですけど、アニメ版でも同じ印象を受けました。
 というか映像化される事によって編中に散りばめられた様々な事象がより整理しやすくなったというか。
 あ、ただし大事なところをすっ飛ばされてる印象は拭えませんでした。
 特に圭一が刺された直後に詩音が発見されるあたりの流れとか。
 圭一重傷→詩音の転落死体発見、という事態の動きが把握しづらいのではと思った。
 あと欲を言や、再会時にちゃんと人形を買っておいた圭一も描写して欲しかったなぁと思う。(←原作での描写)
 この事は、祭具殿でああ言われてしまった圭一の後悔の顕れとも言えるので。
 ちょっと極端な事を言ってしまえば、魅音が会いにきた時に人形携えてなかったら、結局圭一は何も学習してないんだという「演出上の定義」になってしまう。…それはちょっとヤだなあ。


 推理要素に関しちゃ…特に言う事はないかな。
 この編で使用されているトリックがあると仮定するならば、主観視点保持者に対する犯人の露出が多い分、もう“それ”くらいしか考えられないだろうし、
 あとはそのトリックが使用されたと考えた場合、全く説明がつかないあれやこれやに対し、いったい物語の背後にどのような複雑な事情が横たわっていたのか…を推理するだけだろうなーと思う。
 でもその設定考察をしようとすれば、ヒントがなさ過ぎるので一つの見解を練り上げるのにも苦労します。
 ま、そこがこの作品の面白さなんですが。


 この綿流し編の「解決編」に当たるのが目明し編です。
 目明し編はこういう、裏事情とか設定に関する「謎解き」の面白さをふんだんに詰め込んだ編だなあと思います。「解決編」としての描き方はまんま王道なんだけど、見せ方、答えの提示の仕方が非常に良いと思った。(原作)
 アニメでも目明し編はやるという事なんで、原作未読の方は、できればこの編に関するネタバレは目明し編放映まで待ってみても良いのではないかと思います。
 や、また謎とか考えてく方向性とかを箇条書きにしてもいいんですが、この編に関しちゃ原作以上に良い形でのネタバレってのがねえだろうなーと思うので。
 ここまで書いてもなお、どうしても知りてえんだよ!今答えが知りてえんだよ!という感想をお持ちの方はひぐらしのなく頃にwikiとか行っちゃいなさいよ。もうお母さんは知りませんからね。(正気に戻れ)


 …あー。あと。推理のススメって言う程じゃないですが、この綿流し編という不可解な物語に対して、考える方向性の提示を一つだけ。


 きちんと女の子扱いせず人形をやらなかった事で、結果として拷問台に縛り付けられたり刺される羽目になった――
 これはとても理不尽な事であると言えます。
 「もしもあの時あんたが人形をくれていればこんな事にはならなかった」と言われる――
 これもとても理不尽な事だと言えます。
 んで、状況的に言ってもこの台詞はもちろん犯人が戯れで口にしている事にはなるんでしょうが、だからと言って台詞の内容が全部嘘になるって訳でもない。
 そのあたりをゆっくりじっくり考えてゆくと…。


 ええ、確実に混乱します。(こら待て)




<ものすごいどうでもいい実体験>


 「実は父方の実家の邸内にある稲荷を何十年もぼろっぼろのまま放置してるせいでお前が祟られているらしい」とか肉親からいきなりのカミングアウトを受けました。
 うわー。すげえ関係ねえ。そんな稲荷の存在なんて知らなかった上にここ十年で本家に数回しか足運んだ事ない分家の私に何でリアル祟りが来るんだよ。本家を呪えよ本家を。ていうか露骨にウソくせー。
 そもそも、私含め親族の殆どが祟りとか信じてねえのですが。やっぱりオカルト大好きだけど霊や祟りの存在をこれっぽっちも信じちゃいねえという矛盾したキャラクター性がよくないのか。霊媒体質とか言われてもなぁ。霊なんて一度も見た事ねえんだけど。ていうかやっぱり全部ウソくせー。そういうオカルティックな話はモニタの中やページの中だけで十分だっつーの。お手元身の回りにはいらないっつーの。
 なんか大事らしく、時期でもないのに法事をやったり塔婆を増やしたりするらしい。…帰郷して以来ろくな事ねえなあ。
 油揚げがなくなったとか言って疑われるし…。本当に21世紀かここは…。
 フ、さすがはやっとできたコンビニが即つぶれるだけの田舎だぜ…。