昨日考えた、「大災害の時に噴出したガスはそもそもダム建設を強引に中止させるべく用意されていたものだった」という説を続けて考えてみます。



 この場合、意味がわからなくなってくるのが、
 昭和54〜58年の「祟り」です。


 「工事が進むと多量の火山性ガスに似せたものが工区地下から噴出して被害が出る」なんて準備を誰かがしていたと仮定した場合、計画凍結後に至るまで、毎年祭りの日に死人が出続ける理由がありません。
 例えば…そのトラップを知り得たと思われる村内の不穏分子を村上層部が口封じにかかった、と考えたとしても、毎年の祭りの日にちょっとずつ殺してゆくというのは妙です。
 また、古手梨花が今後数年にかけての怪死者をその順番を含め53年時に把握していた、というのも変な話です。(失踪者に関しては語られなかったり、死亡と失踪の違いがあったりはしますが)



 別のセクトというかセルというか…村中枢とは異なるグループが存在していて、
 毎年祭りの日に祟り怪死を演出し、ダム闘争終結後も警察の目を雛見沢から引き離さずにいるのは、そいつらの仕業なのではないか…と考えます。



 もし仮にそのようなグループが存在したとして、その目的を考えてみたいと思います。
 …毎年祭りの日に怪死を引き起こし「祟り」色を強く打ち出すのは、
 1.村内部への警察の介入を望んでいるため
 2.犠牲者を消す理由を持つ人物/団体に罪を着せるため
 あたりが理由かと思われます。



 こう毎年事件を起こされ、仇敵と目される人物が次々消えたり死んだりしてゆく事によって明らかに割を食っているのは、村上層部、ひいては園崎です。
 園崎や村上層部に恨みを持つ人物がそのグループに加担しているのではないか、と考えます。
 上層部のみならず雛見沢村自体も例年の事件で風評被害を蒙っていますから、これに関わっているのは村外の人間、と考えた方が適切なのですが…
 雛見沢を貶めてはっきり得をする人物、というのがあまり見当たらないのも事実です。(犬飼建設大臣くらい…?)
 
 

 綿流しを風習として受け入れる村内にも恐怖の感情があったらしい、なんてTIPSがありました。「研究ノート」だったかな。
 過去の歴史の中のみに存在するらしいこの構図を、そっくりそのまま、村内が強い結束を見せたダム闘争中の昭和50年代に当てはめて考えてみると、“ダム建設に対する反抗活動・妨害工作を積極的に推進する層”“自らも手を染めざるを得ないその活動の過激さに内心怖れを抱きつつも消極的に協力する層”の二つが当時村内に存在した、と考えることもできます。



 で、制裁者に対する恐怖の感情を煽ることにより、体制派…村上層部への反発行動を目的としたグループを形成することに成功した、一種の「扇動者」が村内にいるのではないか、と考えます。
 その扇動者を中心に犯行グループが形成されているのではないでしょうか。



 つまり簡単に書くとこうです。

 “大災害システムはあくまでダム建設に対するトラップとして用意されたもので、村に被害を与えるためのものではない。”
 “けれどダム計画凍結後も使用可能な状態に保たれている。”
 「扇動者」はこれら知り得た事実を歪曲して、適切な誰かの耳に吹き込みます。
  ↓
 “村の上の方の連中に、私達は自爆スイッチを握られているよ”
 “もし何かあったら連中はためらいなく自爆スイッチを押すよ”と。
 警察が嗅ぎ回っているとか、公安が嗅ぎ回っているとか、そういう危うげな事も匂わせるかもしれません。
  ↓
 村上層部は自らの身の破滅を知ったら村を道連れにするかも知れないと思わせます。
 ダム闘争時の過激すぎるタカ派ぶりを見ていれば納得せざるを得ないでしょう。
  ↓
 安易に警察にチクったりすると上層部が摘発されるより先に村が滅びると思わせておき、恐怖に駆られた人々に一種の手綱をつけておきます。
  ↓
 首根っこを押さえられ、自分以外の誰かの都合で自分の命を握られながら、いつ訪れるかわかりゃしない死の恐怖に直面しつつ生きる人々の選択肢は限られます。
 1.逃げる(引っ越す) → オヤシロ様が追ってくるというか祟りに遭います。「引っ越すとオヤシロ様の祟りに遭う」とか言われていますが、村上層部ではなくこのグループの私的制裁を受けるだけです。裏切りは死です。
 2.あきらめておとなしく暮らす → 恐怖を知ってしまった以上無理です。
 3.このグループに従う → 無難な選択です。
  ↓
 「扇動者」により仲間に引き入れようと目をつけられた人々は、みんな3を選びます。
  ↓
 これらグループで毎年の「祟り」怪死を演出しつつ、村上層部の敵を消してゆくことにより、
 警察に村内をうろうろさせたり、
 村上層部の息のかかっていない連中による監視の目を行き届かせたり、
 痛くない腹を探らせて行動を制限させたり支配力をセーブしたり、
 と、徐々に村上層部の支配力を削いでゆこうとします。
 いずれはその自爆システムを起動させる前に摘発させるのが目的です。
  ↓
 早く計画が中断してくれないとみんな死ぬ(と思っている)ので、54年に現場監督を殺させます。その後すぐに計画中断の発表。…この殺人事件とは無関係と思われますが。
  ↓
 計画は中断しましたが大災害システムはそのままなので、55年にダム賛成派だった北条夫妻を殺す、あるいは殺させます。
  ↓
 56年には非協力的態度を示していた古手家当主、及びその妻を殺害。
  ↓
 57年には北条玉枝を殺害。…これは、何か園崎あたりから直接睨まれるような事が過去あったのかも知れません。
  ↓
 58年には業を煮やし、より祟りらしい死に方で公安の捜査員を始末してしまいます。




 …。
 うーん。ちょっと気の長過ぎる計画か…。
 それに数年間に渡り人を祟りに見せかけて消してゆき、公的機関に村内の闇の部分の存在を示唆してゆくよりも、その危ないシステムそのものを自分達でどうにかする方が遥かに建設的か…。


 ダメだ。考え直し。