今日は、富竹の殺害方法についての考察です。



 ちょっと考えたんですが、富竹を殺した方法ってのは、目明し編で公由喜一郎がされた拷問みたいなものかもしれないなと思いました。
 背伸びしていないと呼吸のできないという、アレです。



 例えば…首に細いワイヤーをぎりぎり呼吸ができない程度にきつく締め付けておき、首に食い込んだワイヤーをわずかでも広げる…首をかきむしることで、富竹はどうにか呼吸ができるようにする。
 苦しくて吐しゃ物を撒き散らしながら暴れまわる富竹は、“首の太さを減らすため”、痛みに構わず首をかきむしる事を余儀なくされ、首まわりをまんべんなくぼろぼろにした挙句に血管を破り、出血多量で死んでしまう。
 “かきむしらないと呼吸ができない”という状況であれば、痛みに構っている余裕もないし、結果として自らの首の血管を破るほどかきむしることにもならざるを得ない。



 で、その前に体格のいい富竹にそういう仕掛けを施すため、数人で襲い掛かってボコボコにして身柄を確保したから、富竹の体には傷が残っている。
 それをごまかすためと、その死に様に精神異常の可能性を植えつけるために、周辺の木やガードレールを角材で叩き、富竹の手に強く握らせ傷を作り、角材を放置。
 それから富竹を解き放ち、その死を見届け、
 遺体の首からワイヤーをはずして立ち去る。
 …みたいな筋書きではないでしょうか。




 あ…ダメだ。
 これだと血と汚物の撒き散らされた現場、その中心で横たわるだろう富竹の遺体に、歩み寄ってワイヤーを外す必要が出てくる。
 それに…窒息死する・あるいは遺体に酸素欠乏の痕跡が残る可能性も高いか…。
 富竹の死因は出血によるもの。極度の興奮状態にはあったらしいが窒息はしていない。
 


 うう。考え直し。




追記:

某所のインタビューで原作者さんがザッピングについて触れてましたが、
むしろ私は、舞台が同じである「綿流し編」と「目明し編」を同時起動して、
圭一視点、詩音視点とザッピングプレイしてみたい。
交互にウィンドウ切り替えつつ。


――そんな私の希望は、
「出題編」と「解」は同時起動できない、という現実の前に
もろくも崩れ去るのでした。


くそー。
スクリプト複数起動とかってできないのか。