「綿流し」と「現場監督殺人」の類似点について

以前書いた永字八法さんの企画に参加するべくSSを書いているのですが…
うわーどうしよう。半端ねえ長さ…。


演出面を考えるために、ベースにひぐらしのオリスクを公開している方のデータをいじったものを流用し、スクリプト用の命令(?)を書き加え、実際に試走させてみてもいるんですが……いかんせん長すぎる。


しかもなんかSSとしてはありがちな話でどうも被りそうな気も。
うーん、他の参加者の方はどういう話を書いてるんだろう…。


とりあえず完成したら応募だけはしてみよう…。



さて、今日の考察は、
<「綿流し」と「現場監督殺人」の類似点について>
についてです。



 綿流しで行う儀式の意味について、鷹野三四はこう語りました。



 巫女が布団を鍬のようなものでつつくのを皆で見学する =
 犠牲者の腹をこじ開け腸を出す様を皆で見学する



 また、こんな感じのことも言っています。



 川にちぎった綿を流す =
 細かくちぎった犠牲者の腸を一人一人川に流す



 ――この、腸を流すという行為ですが、なぜこんな事をする必要があるのか。
 また、人肉を食べる上で内蔵を捨ててしまったら、大勢の人間が食べる事のできる部分はごく少なくなってくる……うぇ、書いてて気持ち悪くなってきた……のに、どうして腸を捨ててしまうというのか。

 …この辺の疑問の答えというのは、実は現場監督殺人事件の中にあるのではないでしょうか。



 すなわち。



 現場監督を殺害した六人の作業員達の主犯は、“遺体を六分割し各自に処分させる事で殺人共犯者としての自覚を強く持たせ事件の発覚を防ごう”としました。
 

 そして鷹野三四によれば、綿流しの儀式の一部は「多数の人間が、目の前で行われる人体解剖の正視を強要される」ようなものであったともされています。そこには恐怖の感情もあった、とも。
 園崎家地下祭具殿やら古手家祭具殿やらの様子から言っても、それらは事実なのでしょう。
 この、『残虐行為をある意味で共有しようとする傾向』は、祭で執り行われる綿流しの儀式の中にも別の形で息づいているように思います。
 つまり――ハラワタをちぎって一人一人が川に流す。
 …古代の雛見沢において。犠牲者に致命傷を負わせるのは園崎や公由の役目だったでしょうが、見物人達はその様を間近で見せられはするものの、彼ら自身の手で殺しはしません。
 ゆえに、その殺人の罪を一緒に負わされるため、村人達はまだ生きている犠牲者の腹から自分の手で腸をちぎり取らされ、一人一人、川に流す事を強制させられたのではないでしょうか。
 そのために、古代雛見沢においては、「犠牲者を殺さない開腹の技術」などが磨かれていたのではないでしょうか。
 …つーか、うっ…その光景想像しただけで気持ち悪くなってきた…。
 間宮律子って…拷問の果てに、まさかこんな風に殺されたんじゃないだろうな…。


 

 と、こう考えてゆくと、「綿流し」の理念は、“遺体を六分割して各自で隠させ共犯意識を持たせようとした”現場監督殺人主犯の考えに、ひどく似ているものを感じざるを得ません。



 …で、この二つが似ているってのはもちろん、ただの偶然ではないでしょうね。



 この解釈が当たっていた場合、あの昭和54年の現場監督殺人は、ある意味現代における“綿流し”だったと表現してもおかしくないでしょう。
 だとしたら、この死体遺棄に至るまでの殺人を企図した人間は、村外の人間たる作業員達ではなく、村内の人間という事になります。
 殺した後で六分割し各自隠蔽という主犯の提案はどうも唐突でおかしいと思っていたけど、…やはりこの提案自体、誰かの入れ知恵だったって事になるんでしょうね。



 さてここで、別のおかしい点を突いていきますと。
 昭和53年の綿流しの日、さらわれていた犬飼寿樹が解放されます。
 解放の裏には、『ダム計画撤回の確約が取れた』みたいな話を匂わせてはいましたが……
 しかし、実際に計画の取り止めが通達されたのは一年以上も後のことになるんですね。
 しかも昭和54年の事件当時に現場監督や作業員や警備員が工事現場に詰めていたことを考えると、その間、ずっと工事は続けられていたようです。
 そして、事件後しばらくして計画の中断が伝えられますが、結果は計画撤回ではなく「計画凍結」でした。
 目明し編の序盤で義郎叔父さんと詩音の会話の中にも、


「私はダムの計画中止が発表されて少ししてから学園に行ったからなぁ。私がこっちにいた時はまだ、ほんの少しピリピリしたムードが残ってましたよ。」


 こんな言葉が出てきます。
 つまり、昭和53年にダム計画の撤回の確約を得てからも一年以上は村がピリピリしていた、という意味にもなるでしょう。
 


 この昭和53年〜54年というのは……村の人からしてみれば、かなり心中穏やかざるもののあった一年だったんではないでしょうか。
 


以下は考えてみた妄想推理です。



1.無事孫を取り戻すことができ事件からも日を置いた犬飼建設大臣が、このまま約束を反故にする事に懸念を抱き、『孫解放から一年後の同日』、村の誰かは作業員達を操って現場監督をバラバラにして見せた。
 これは、建設大臣からしてみれば結構なメッセージ性のある事件となります。


2.雛見沢の連中との約束を半ばうやむやにしようという気もなくはなかった犬飼大臣は、「孫をバラバラ死体にされては困る」とあわてて水面下工作を行い、強引にダム計画撤回の話を早く進めようとし、最終的に「計画凍結」という結末に飛びつかざるを得なかった。


3.大臣は短期間で雛見沢の人々に約束した結果を示して見せはしたが、その結果ってのは「計画凍結」だった。



以上。



 うーん。現場監督殺人が一種の「ダメ押し」だったって考えると、結構納得のいく筋書きが立てられるんですが……それだけだと、二年目以降の殺人が不要なんですよね。
 しかも、魅音は現場監督殺人も含めて「誰がやったのか婆っちゃにもわからなかった」って言ってたんですよね。
 祟り殺人をやっているのは村上層部ではないわけです。


 私は、雛見沢には村上層部に抵抗する層が潜在的に存在して、ダム誘致を目指した結果、最終的に祟り殺人を引き起こしているんだろうと考えていたのですが、
 現場監督殺人の黒幕をこの層だと考えた場合も、
 この殺人の結果もたらされるものは、きっと目的とは反対の成果でしかないですね…。


 考えてみれば、あのタイミングで現場監督が殺される(そして犯人は雛見沢の人間ですらない)っていうのは、計画を撤回させるためのダメ押し以外の何物でもないように思います。
 先年やらかしたのは誘拐でしたから、殺すのはさすがにやりすぎだろうとは思いますが…監督自身、魅音らしき人物ともひと悶着起こしてましたし、まあ長年に渡って消されるに十分な憎悪を蓄積していたと言えるかも知れません。
 なんにせよ村の中にいて村の敵で余所者で…と、生贄には持ってこいの人物でしょう。


とりあえず、今日の結論は、
「現場監督殺人はダム計画撤回約束から無為に一年が過ぎ去ったためのダメ押し、あるいはそう思わせるための誰かの行為」ってことで。


 うーん、ちょっと構図がわからなくなってきた。
 もう少し背景を掘り下げて見るか…。



追記:「調べたけど祟りなんてやってる奴は村の中にはいなかった」っていう魅音の発言がウソであれば、色々とわかりやすいんだけどなぁ…。
やはり井戸で殺される寸前に、あのような嘘をつくとは思えない…。
うーん。