思うことその2

オリスクを作ってると思う事その2。


“自分病んでるなぁ。”


…ヘッ。
ああそうだよどうせ自分の筆じゃそういう話になりがちだよと。




罪滅し編で明らかになった梨花の一面とかを踏まえ、
祟殺し編梨花の行動なんぞも妄想しつつ、現在オリスクを作ったりもしているわけなんですが――
なんつーか…この人、凄く悲しいな。
書き上げたらしばらく凹みそう。


罪滅し編では3回くらい涙をこぼしたが、
皆殺し編では5回くらいは泣けそうな気がする。たぶん。


 罪編がなんつーか…“惨劇に挑む”みたいな流れだったから、皆殺し編は…事態解決への意思を見せるも部活メンバー達の努力はことごとく挫かれ、むなしく惨劇に飲み込まれてゆくその過程で様々な謎の答えが提示される、みたいな目明し編ぽい形式なんじゃなかろうか。つまり皆殺し編は救いようのねえ悲劇なんじゃなかろうか。
 で、皆殺し編で蓄積されたフラストレーションを祭囃し編で一気に豪快に解消し、全編終了の爽快感・謎解決のスッキリ感とともにフィナーレに相応しいカタルシスを得ようというアレなんじゃないだろうか。(アレじゃわかりません)


<いつもの妄想>


 綿流し編をやり直してて思ったのだが、
「圭一に女の子と認識して貰いたいが為に双子の妹の扮装をして会う魅音」が、
実はぜんぜんそうじゃなくて、
「圭一に女の子と認識して貰いたいが為に“詩音”の人格に交代して会う魅音
とかだったら凄い怖いなあと思った。
…いや、思っただけだが。


 以前の記事でも書いたように、こういうのあり得ないとは思うんだが、
 目明し辺りで、敷かれた伏線整理されてるようにも見えるのが微妙に怖いんだよなぁ…。
 もし現状から魅音真犯人とか到達し得るというなら、その執筆技術に泡さえ吹ける気がするよ。
 いやむしろその場合作品よりも作者が怖いよ。