公式掲示板発言を見て

 皆殺し編公開に絡む、公式掲示板とかでの竜騎士さんの発言を今更ながら見たのですが、…いやはや大変ですね。
 でも私にとっちゃひぐらしは二次創作の楽しみを教えてくれた作品のひとつだからなあ…。


 “二次創作をしよう”だと敷居が高いけど、推理と称して作品の展開に想いを馳せるのは誰にでもできるわけで。
 ひぐらしの推理モノとしての欠落を語るなら、それこそたった一言――『確たる証拠の少なさ』(及びそれゆえに推理の及ぶ物語として成立し得ていない部分)に集約されると思うけれど、この作品の場合…推理っつーのは“睡眠薬でなく睡眠導入剤のようなもん”だと思うんですな。
 ――要するにこのわかりづらい例えで何が言いたいのかというと。
 提示された出題編の文章中には、ひぐらしの物語全体を推理し空想し脳内構築する上で必要な情報てのは明らかに不足しているか、あるいは自分でこれか?これか?と当たりをつけて各編からかき集めるしかない…というのは事実と言ってもいいと思う。
 で、そうなってくると、その限られた条件下でなお推理をしようと思考を巡らせるのであればそれはもはや推理ではなく既に二次創作の領域に片足突っ込んでるわけなんですが、それゆえに…“推理”って目的があればこそ、ただ普通に二次創作をするよりも格段にやりやすいんじゃないのかなあ、と私は思う。
 つまりひぐらしにおける“推理”ってのは、完結してない・あるいは語られ得ぬ物語の先を各人が模索するためのカギとして手がかり足がかりとして、用意され利用されただけの要素なんじゃないのかなぁ、と思う。


 …とか書くと擁護っぽく聞こえますか。
 でもまあ、私もひぐらしやる一年くらい前に「ブレアウィッチプロジェクト」を見てなかったら、こういう風には思えなかったかもなあ、とは思う。
 ひたすら怖くて暗くて意味不明。
 ひぐらしの出題編を面白く感じた人なら、見ておいてもいいかも。
 ちなみに私は見てから、ハンディカメラの映像とかにちょっと怯えるようになった。


 ついでに書いとくと、竜騎士さんの言及もあった「ブレアウィッチプロジェクト」ですが、
 これは簡単に説明するならばアメリカ流の壮大なホラです。
 映画自体は延々と続くハンディカメラからの映像、といった感じなのですが、
 “大学の調査隊が大昔の遺跡を発掘中に見つけたフィルムに、レポートの課題に魔女伝承を選びブレアの森で行方不明になった三人の記録が残されていた”という設定に基づき、映画の外の部分で、行方不明者の関係者やら目撃者やら証言映像やら…と果てしなくでっち上げていったという奴です。こういうのメタフィクションって言うんでしたっけ?
 …まあ、メディアや視聴者の関係を考えると、この手の企画ってのは明らかに日本でやるには不向きでもあって、このホラをエンターテイメントと定義するのはちょっと難しい部分もあるんですが…。