ひぐらしの他方向展開・展望

 ラララ半月放置。(踊りながら)


 いやぁホラ、実家で暮らすのって色々大変なのよ? ブログの更新も覚束ないぐらい大変なのよ? 実録☆鬼姑対決日記みたいのもあるけどああいうの全部ファンタジーよ?
 いやホント大変なんだって。おもに、お義母様の顔色うかがったりとかさ。
「ヨシコさん?この桟にまだ埃が残っていますけどあらまあ一体ご実家ではどういうしつけをなさっていたのかしらね?」とかさ。
「ヨシコさん?お里が知れますわね。これだから低禄の家の娘は…」とかさ。
 …まあ、私の名前はヨシコじゃないんですけどね。あと中世武家社会の女性でもない。


 と、また物凄くどうでもいい前置きを書いていたらエンジンが温まってきたので本題に入りたいと思います。
(その前置きのせいで閲覧者のおよそ八割くらいがこの辺で読むのやめてると思う)



ひぐらしの他方向展開・展望>



 本日のお題は作品外、メタ方面。
 漫画/アニメ/ゲームと、頭に“電撃”がついてもおかしかないぐらいのメディアミックス展開を見せている「電撃・ひぐらしのなく頃に」なわけですが。(勝手につけるな)
 これらが今後どういった流れを見せるのかについて少し考えてみたい。


 まず前提として、本編とまた違った展開/結末を用意するくらいはやるだろうと思う。
 (まあ、当然と言えば当然の事なんですが…)基本的に、既読者のファンは、他メディアで同じ作品に触れるのはよいとしても、同じ結末に辿り着くのはやはりどうしたってタルい…というか、結末とそこへ辿り着く道が完全に同一であり完全に既読な物語を最後まで読む奴ぁあんまりいないだろうと思われる。どれだけファンであっても。
 様々なメディアで同一作品を取り上げる事により様々な客層の目に触れさせる機会を得るワケで、つまりは一見さん/初見のお客さんも沢山いるだろう、という予測を加味してもなお、商業的な判断として、結末ないしはそこへ至る道を変えるくらいはするだろうと思われる。というかむしろ、しなきゃなんない。
(メディアミックス商売は言い方は悪いけどリピーター的な応援者・固定客層を獲得して何重にも稼げる土台を作るのが基本でもあるし、またクリエイター自身がその手の局所改変に積極的でなくても、各メディアの担当者が各々何かしらのオリジナル要素を求める、…というか大袈裟に言うと市場原理に根ざすぐらいの理由からこれを求めざるを得ない)
 てなワケで、他メディアにおける「ひぐらしのなく頃に」の展開/結末はいずれも異なるものとなるだろうと思う。多少は。


 ミステリ風作品という特性をうまく生かし、本編と結末を大きく違えるくらいの事はしてしまってもいいんじゃないかと思うけど、テーマがぶれるのと作者がそれを避けそうなのとそれに何よりも多忙すぎてそんな余裕が全くなさそうなあたりから判断して、結末はそれほどには変えず、むしろ展開の方に大胆に手を入れ、「うわーこの話どこいっちゃうの!?全然違う結末なのか!?」と視聴者ないしは読者を揺さぶるような方向に持ってくんだろうなあ、と思う。…で、後できっちり本筋に修正し、ストーリー全体に波及する揺らぎを少なくするんじゃないかと。
 竜騎士さんの書き方…というか、「ひぐらしのなく頃に」ってのは同一舞台・類似設定で実に多種多様な物語を生み出しつつも結末は大体大災害だったり悲劇だったりしたワケだから(まあこれらは全て話の都合とは言え・笑)、これまで7編を生み出してきたこの「作り方」てのは、“結末ではなく展開を大きく改変する”という形において、他メディア展開の「ひぐらしのなく頃に」にも生かされるんじゃないのかなー、と思う。


 さて。
 で、謎の真相まで異なったものにしてしまう…となると、さすがにお話の構成やミステリ的な謎の構造にまで亀裂を入れかねんのでこれは避けるだろう、と思うわけだが。
 これは、既に期待されている可能性が非常に高いと言える。特に、ゲーム。まだまだ開発とは呼べる段階ではないっぽいですが、コンシューマのアレね。アレケミストね。(そんな会社ない)
 何が言いたいのよというと、もしゲームとして開発が進められる運びになるのなら、要するに「かまいたちの夜」的なものを開発方針に据えられてもあまりおかしくない気がする。
 バカ言ってんじゃねえ!ひぐらしは、あの選択肢のねえ閉じた一方通行な悲劇がいいんじゃねえか!…という意見なら私も腐るほど持っています。だからこそ大勢の方に受けたんだとも思います。
 でもしかしひぐらしに、コンシューマゲーとして付加価値を設けようとするなら、やはり選択肢の装着あるいは謎解きシステムのような形でのゲーム性の追加ないしはそのソフトのみ収録のサイドストーリーの書き下ろしなどは必須だと思われるわけです。
 アニメや漫画と違い、コンシューマゲーとなると本来の姿…同人ゲーと近い部分が多いワケで。思い切った差別化を図らなければ「あー、別に(同人版)持ってるしいいや」と、…誰も予想し得なかった9編目の惨劇が幕を開けてしまうわけです(笑)。そもそもコンシューマゲーて値段高いしね。ある意味において、(広告や営業やメディアミックスという新規客層獲得の努力を抜きにして考えた場合)コンシューマってのは優れた同人作品をそのまま持ってくるには不利な土壌と言えると思う。コンシューマと同人の流通の幅が全然違うっつっても、値段の差はやっぱ大きいだろうし。
 (…というかむしろ、コンシューマゲーの値段てのはメイン客層の財布の中身を考えると、ああこれ面白そうちょっと買ってみようかな、で済むレベルではないため、このあたりの厳しさは仕方ない。ソフト売上とか見るとはっきり解るが、皆が金払って未知のワールドに冒険する人ばっかじゃない)
 まあ大体以上のような理由から、もしコンシューマゲー「ひぐらしのなく頃に」が発売されるのであれば、それは恐らくメディアミックスで十分名を売ってからになると思うわけなんですが、それでもそのソフトの中身は付加価値ありきとならざるを得ない、と言えると思う。
 まあ、同人ゲー「ひぐらしのなく頃に」においてもそのような努力はされていて、出題編にはミニゲームがてんこ盛りでした。しかしゲーム性の付加という意味では成功していたとは言いづらいものがあります。そりゃあんた、何たって、本編シナリオの内容や重さとの格差が凄まじいからネ! 鬼隠し編やった直後に「レナパン」なんてやる気起きるかっつうの! 怖くて死ぬ気で避けるっつうの! 祟殺し編やった直後に「お散歩梨花ちゃん」なんてやる気起きるかっつうの! 敵キャラ全員ハラワタ引きずり出しに襲い掛かってくるように見えるっつうの! …まあ多分この辺の理由から、出題編にあったミニゲームが姿を消してしまったのだろうと思われるわけですが、それはおいといて。
 で。コンシューマゲーにおいてもおそらく、ミニゲーム搭載によるゲーム性の追加という手法はやはり認められず、恐らくは本編そのものにゲーム性を搭載/追加する形を取るんだろう、と思われるわけです。あと書き下ろしのサイドストーリーはきっと必須になるんだろうな…。
 となってくると、「かまいたちの夜」的なゲームシステムがおぼろげに推測されてくるわけです。
 …選択肢で死亡バッドエンド直行とか。
 …選択肢によって、書き下ろしのサイドストーリー「〜編」「〜編」に入っていくとか。(真相の全く異なる○○し編、やあるいは、もっとイロモノな、かまいたちでいうサイキック編とかダンジョン編とか幽霊編とかカマイタ撲殺祭り編みたいな位置付けの編など)



また、本編八編の構造ですが、
「ループ物ってカブる部分を読むのがタルい」という根強い意見が前々からあるのも事実なんで(ひぐらしは時間的にカブる部分を読んでても普通に面白いのですが)、もしもコンシューマ版が出て選択肢を実装していた場合、本編はこのような構造になるのかもしれませんね。
(少し前、あちこちの考察でよく見かけた図の流用ですが)


 
細部の設定は語られないままスタート(主観は圭一)

魅音に人形をあげる  あげない → 綿流し編(クリア後目明し編への分岐発生)

両親が仕事で数日留守にするがレナに救われる  自分で料理する → 祟殺し編

梨花が昔話をしたそうだったが聞かない  聞く → 暇潰し編

レナの家に遊びに行って父と愛人を目撃する  行かない → 罪滅し編

梨花を啓蒙して単独行動を誘発しない  する → 皆殺し編

祭囃し編



 こんな風になるかも。
 かなり序盤にだけ各編に分岐するための選択肢があって、しかもそれらは“前の編”を読んでいないと選択肢自体現れない、とか。(ファーストプレイとかでのネタバレを防止する為)

 まあ……すべては私の妄想なんですけどね。(笑)