ちっと思った事を書く:ミステリ解答編のカタルシスについて

 んー。やっぱり、「祭囃し編」にてすべての謎の答えを提示するのは無理なんじゃなかろうかと思う。
 何でかっつうと。


 これまで解決編を三編プレイしてきて思った事なんですが、例えばプレイヤーたる私らの考える「謎・疑問」と、作者さんの考える「謎・疑問」には定義の開きがあるように感じられるんですな。
 (犯人ではなく設定を考える物語、とかそういう話ではなくて)
 「目明し編」は非常にミステリらしい基本テンプレに則った構造というか、“解決編・解答編としての出来”は文句のないものであると言えると思うんですが、主観視点の縛りによって、目明し編で触れた謎の全てに答えを与えるわけじゃない形を取ってました。
 まぁそれはそれでいいんですが、じゃ罪滅し編皆殺し編はどうかと言うと、これらはオーラスのハッピーエンドに向けての物語でもあって、出題編に散りばめた謎の解答としては今ひとつ不満を残す仕上がりとなっているように思う。
 いや、衝撃の事実がつまびらかになったりしてて解答編としての役割をきちんと果たしてるだろよとは言えるんですが、独自の物語を展開して出題編の追想形式を取ってない分だけ、どうしても細かい謎解きに対して不親切にならざるを得ない。
 より具体的に言えば「あの時のアレはどうしてああだったのか」についての答えが少な過ぎるようにも思う。
 もちろん、考えるヒントを与えてはいる。例えば罪滅し編で遺体を独自に処分してくれる魅音の存在によって、祟殺し編で遺体が消えてたのは魅音のおかげなのかなと考える事もできるし、皆殺し編で校長を見た沙都子が叔父が叔父がと怯え出すイベントによって、祟殺し編の祭後に沙都子が家に居ると語る叔父の存在は幻覚によるものだったのかと考える事もできる。
 しかしこれらはあくまでヒントであって答えではなく、考える方向性であって明文化された解答ではない。
 傍から見ると馬鹿みたいに見えるかも知れないが、プレイヤーが求めるのは明確な解答であり、言っちまえば作者の言質のようなものである。
 だから、問題集のような物語には問題集のような解答が求められるという部分を加味した上で、味も素っ気もないかも知れないが、某スタッフルームのように、


Q:鉄平の死体を隠したのは魅音ですか?
A:上記お見込みの通り。


Q:あの時電話に出たのは魅音じゃなくて詩音ですか?
A:し、知っているのか雷電ー。


 みたいなぶっちゃけQ&A集をおまけにつけてくれるとスッキリするんじゃないかなあと思うのだが。
 まぁそんな無味乾燥なつまんねえ事はどのような作者もしないだろうと思うわけで。
 従って、祭囃し編の「解答編」たる部分はこれまでの三編と似通った解答の提示方式を取るだろうと思われ、(むしろ解答編よりもハッピーエンドとしての比重の方が大きそうだ)
 それゆえに作者が読者に対して全ての謎の答えを明らかにするのは無理である…と思われる。


 まぁこっから先はミステリ観の話になってくるわけですが、
 なぜなら、情けないが極端な話、作者に全部「答え」を言ってもらわない限りは謎っつーものは解かれ得ないので。
 例えば、皆殺し編で明らかになった真実によってナニヨソレ的な声が上がったわけですが、その事よりもむしろ私は、出題編で提示された不明点の解答をちょっと親切過ぎるくらいに追って欲しかったなぁという感想を抱いた。低レベルな内容に聞こえるかも知れないが、やはりここは重要だと思う。
 罪編・皆編と衝撃の真実が明らかになった割に覚えたカタルシスが少なかったのは、やっぱり鬼編・祟編への解答編としては不親切なものにならざるを得なかったせいだと思う。
 まぁ、このあたりの感想は人それぞれだろうとは思うんですが。



 たぶんどのような素晴らしい解答を提示しても必ず「あの謎の答え出てねーぞ」と文句が出るだろう事は必至のように思う。
 なぜなら、その謎の答えがきちんと提示済みであったとしても、されていない認識を持つ人は必ず出てしまうだろうから。
 だから、「祭囃し編」で強い不満が出ない程度に主要な謎すべての解答を済ませて、んでファンディスクとかでサイドストーリー的に細かい謎の答えの提示とかやってくれたらいいなぁとか思うのですが。
 ちまちました細かい謎の解かれてゆくカタルシスをどうか。