傷物語 書評

        ***  神主様のありがたいお言葉  ***



   己に仕える者の財布すら十分に満たせない神など、必要ではない。



傷物語



この物語は、友達のいない高校生のひとりよがりな正義ごっこが、ある一人の吸血姫を救済し、祝福し、そして没落せしめるまでを描写した物語である。
本書を開いたのは例によって例の如く、温泉街の露天風呂の中だったわけだが、本書について語るにはまず、過ぎ去って久しいある時代について語らねばならない。
かつて、たかだかノベルゲーが、そのシナリオの秀逸さと、またシナリオに心打たれた信者の賛辞と、そして洗脳された信者どもを嘲笑うアンチの皮肉から、『聖書』だの『文学』だの『人生』だのと称された時代があった。
その内、『文学』を著した作者が過去に非商業作品として制作し、一大ムーブメントを引き起こして商業ブランド化への転機を迎えるに至った作品というのが、とある吸血鬼譚であった。
そういう時代をほんの少しだけ下ったあたりで、その非商業作品にも登場する『真祖』だの『吸血姫』だのという単語を躊躇いなく作中に使用し、ジャンル被りどころかストーリーラインの同一性すらまるで恐れずに、西尾維新がぶっ込んできた吸血鬼譚。
それが、本書である。
流行りものを押さえるという事はパクリ呼ばわりされるという事と表裏一体でもあるのだが、西尾維新のおっかない所は、堂々とパクリ物としての体裁を取り、メタなネタを織り交ぜて笑いを取りに行きながらも、きわめて独特なテンポを有するその筆致によって、結局は完全に独自の物語を構成してしまうところにあると言えよう。
この話を端的に表現するなら青春小説と言える。
というか、物凄くよく出来ている青春小説といってもいいぐらいである。
笑いあり涙ありバトルあり愁嘆場あり燃えポイントあり、並の書き手じゃ新書一冊に収めきれない分量の物語を、きっちり本一冊にまとめている。
本作は西尾維新の<物語>シリーズ第二作にして三冊目の作品であり、当然ながら、シリーズの他の作品との深い関連性を有する長編物語のごく一部にして途中部分ではあるのだが、「どの作品から読んでも構わない」と作者が豪語する通りに、この作品から読み始めても全く問題ない。
というか、長いシリーズ物だからとただいたずらに展開を先送りにしたりせず、巻頭で始まりを迎えた物語は巻末で綺麗に完結を迎え、きっちりと本一冊分の旅をさせる。
「良著は本一冊分の旅をさせてくれる」というのが私の持論だが、本書はその論に則って何一つ恥じるところのない、しかし内容はとても恥ずかしい物語である。(わりと品が無い)
また、この作品は語り部が一個人に限定されているため必然的にその彼が主人公であり、そして“吸血姫を巡る物語”であるため必然的に主軸となる彼女がヒロインであり、そしてアドバイザー的キャラも存在し、また敵キャラも各種取り揃え、総登場人物数は少ないながらも物語を運ぶ上で不足の無いだけの布陣は備えている。
…いるのだが、しかしそれに加えてさらに別のキャラクターが登場する。
主人公としての働きをし、ヒロインとしての働きもする、何とも不思議な立ち位置のキャラだ。
とは言え、彼女は語り部の位置を奪うでもなく、主人公を押しのけて活躍するでもなく、ヒロインの対抗馬として過剰に自己主張するでもない。
しかし能力と指向性が異質であるが故に、目立つのを嫌いながらもどうしても目立ち、あくまでもメインキャラのサポート役に徹しているのになぜか主人公としてもヒロインとしても働いている。
そんな不思議なキャラである。
一般的に、「超人キャラを出すと話がつまらなくなる」と言われている。
しかし、こういうキャラを出しても蛇足にならず、また目障りだったり鼻についたりという不快さをまったく覚えさせもしない手腕は、魅力的なキャラ造形に定評のある西尾維新の真骨頂と言えるだろう。



西尾が手がけていた前シリーズにあたる「戯言シリーズ」においては、特に天才に対する過剰評価が目立ち、また天才の定義も過剰に拡大する傾向があったのだが、「そこから一人だけキャラクターを持ってきたのか?」とも思える程の万能さであり、有能さであり、そして異常さでもある。羽川翼は。




【メンタルの怪物はすべてを許容する】