砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない 書評

      ***    神主様のありがたいお言葉    ***


    理想とは、愚者が他者を縛る為に持ち出す下らないお題目である。





へー、こんなスレあったんだな。しかも立ったの最近だ。
http://blog.livedoor.jp/ganotasokuhou/archives/34843009.html
爆笑しつつ読みました。
まあ、皮肉というわけではないが、今日はこちらの本の書評をひとつ。




【砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない】

無名のライトノベルレーベルからデビューし、八年後に直木賞を取っている、まさに規格外の怪物。それが桜庭一樹という作家である。普通にこんな経歴見た事ない。
その名前が世に広く知られ始めた契機となる一作が、この作品である。
出版当時の状況としては、シリーズ物のライトノベルをずっと継続して書き続けてきた桜庭が、そのラノベゆえの軽さに耐えられなくなり、もっと重い話を書きたくなって突発的に書き上げたという単作、ということである。
…とは言うものの、そのずっと書いてきたというラノベシリーズ「GOSICK」は、推理物にして安楽椅子探偵物という作品なのだが、じゃあラノベのテンプレに納まるようなクソつまんねえチャラけた小ぢんまりとした作品なのか、というと別に全然そんな事はなく、全編通してかなり骨太な作品に仕上がっている。
まあ読者がどう感じたところで書き手である作者が筆が軽いと感じれば軽いのであり、直木賞取るような作家と他のラノベ作家の作品を比べても仕方がないと言えば確かにそうでもある。
まあやはり本格的な実力派の見据える先は違うという事か。
さて、本作の内容に触れていく。あらすじとしては、無味乾燥な田舎町に暮らす一人の少女の視点を主眼に、歪んで静かに閉塞した彼女の周囲と、嵐のように訪れた一人の転校生を巡る物語を描写したものとなっている。
舞台は明示されていないが鳥取県とかいうところの境港市らしい。(ちなみに砂漠は出てこない)
基本描写は少女漫画的といってもいいくらいの感傷性を備えているものの、田舎ならではの閉塞感を他者への不干渉性で描写するあたりや、主人公を初めとする登場人物達の現実に対するどこか乾いた対応など、“何もない僻地の何もない日常”を無感情に描く事に成功している。
そんな無味簡素な灰色のカンバスに、水と油のごとく相容れない徹底した異分子であり続けるような転校生の登場…という極彩色を、大胆に塗り込んでいく。このあたりのダイナミズムは読んでいて気持ちいい。
と、こう書くと、その先の展開は「転校生の存在が閉塞した環境をかき回し、振り回される主人公も少しずつ変わっていく」か、「主人公が環境に馴染まない転校生の心を少しずつ解きほぐしてゆく」の二通りのどちらかのように推測されるだろうが、結論としてはそのどちらでもない。
変わった転校生が来たところで現実というものは変わりなく厳然に存在し、砂を噛むような退屈な日常の繰り返しの中、主人公は埋没して目立たず、転校生は馴染む事なく異彩を放つ。閉塞した環境はなんら変わらず、転校生の生活は初めから破綻しており、しかし救いを求められる事すらなく、主人公と転校生との奇妙な交流も束の間、やがてやってくる嵐の前に子供が抗すべくもなくすべては過去へと運び去られ、そしてそれぞれの結末を迎える。
タイトルの「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」は、少女趣味過ぎて若干の胸焼けの覚えるものではあるがそれはさておき、少しだけ解説をしておくと。
「砂糖菓子の弾丸」とは砂糖で作られた弾丸という意味であり、まだ大人になれない子供の事である。
「撃ち抜けない」対象は標的であり、現実である。
この物語は現実に対応できない子供が現実の前に敗れ去るまでの物語であり、また同時に、異なる複数の結末を内包する物語でもある。
転校生は砂糖菓子の弾丸として砕け散り。
転校生の父は砂糖菓子の弾丸のまま世に放たれ。
主人公の兄は砂糖菓子の弾丸である事をやめ。
その犠牲によって、主人公はずっと望み続けていた「心無い鉄の弾丸になる事」から猶予を与えられ、子供らしい砂糖菓子の弾丸としての日々を続ける羽目になる。
最終章、己の意思に反する結末を迎えた主人公の述懐は、何よりも深い。
……さて、ここでガラッと話は変わるんだが。
というか冒頭のスレの話に戻るんだが。
神職名簿とそこに並んだ苗字を見りゃ一目瞭然だが、神社界というのは歴史上の権力者達の末裔達が流れ着く場であり、当然のように腐敗の温床となっている。
が、その腐敗こそが我々に安泰な生活を確約する。
腐敗を許容する代償を払ってでも、安泰な人生を求める人間は一定数存在し続ける。
もちろん、腐敗しきった雇用主層が被雇用者を恵まれた条件下で使役する事はないが、「腐敗した連中が聖職者の自覚を取り戻す事」を期待するのをやめさえすれば、いくらでもやりようはある。
“嫌なら辞めろ、我慢できるなら働け、長居したいなら染まれ”
会社でも神社でも言われるのは同じ事だが、まぁ両方に就職しなきゃわからねえ事でもある。
神主になるのに高い学力は必要とされないため、新卒で神主になりたがるような奴は例外なく頭が悪いくせに自分は特別だと考える選民意識をもったバカである。
バカが腐敗した世界にやってきて他者に高い理想を押し付ける。
だが、砂糖菓子の弾丸では撃ち抜けない。



まあ、その構造を理解する私としては無論、両者ともに関わりを持ちたくはなかったんだが、山に篭って霞を食べる仙人みたいな暮らしを送るわけにもいかないし、また神社界にもたっっっっぷりとまだ返してもらってない貸しが残っているので、今日もやむなく神社で働きながら体を壊し、温泉で湯治しラノベを読む、と。

【砂糖菓子の弾丸では勤まらない】











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