■
今日は目明し編、昭和57年綿流し当日(6月20日)の悟史の行動について検証してみたいと思います。
まず、この日悟史が何をしようとしていたかについてですが、少なくとも「比較的新しい粗大ゴミを餌に叔母をゴミ捨て場に誘導した場合、引き出しを開けるために隙ができる」という事をシミュレートしています。
そして、事務机の放置場所から後方五、六歩の草むらに何かを落とし込んだりもしています。
…まあ、バットを持ち歩くようになったことや、精神的に追い詰められており叔母への殺意が認められてもおかしくはない点から、恐らくは「虐待を苦に叔母を殺害しようとしていた」のでしょう。
ただ、「綿流しの夜に」「なぜあの場所で」殺そうと思ったのかは不明ですが…。
さて、当日、事件発生までの経緯を見てゆきます。
13:40 詩音在宅。以後外出はせず。
17:02 悟史、ゴミの放置場所にて(ダム工事現場跡付近か?)上記のシミュレート。
何かを草むらに放置。
17:51 魅音・梨花・レナに祭に連れて来られた沙都子、会場を見て回る。
梨花の謎発言「すべて決まっていることなのです。」
20:11 悟史、夕食後に裸足で外出。
現時刻を確認。夕食をとる人は家に帰り、クジを引く人は会場に残り…と、周
辺一帯が最も人気の少ない時間、と判断。
感覚・身体能力が拡大したような状態を自覚。例のモノクロ反転クールモード
に酷似。
20:37 祭会場にいた園崎お輌と公由喜一郎の元に牧野氏より殺人事件発生の報告。
既に警察が捜査中、との情報。
21:04 大石刑事現着。
祭会場でお楽しみクジの実行委員をしていた入江医師現着。
顔を潰された遺体を確認後、大石より身許に心当たりがないか尋ねられた入
江、分からないと答え現場を去る。
大石、入江が誤魔化したと判断。付近在住の人間という推測をより強固に。
21:39 悟史、警察に連れられ現着。眠そう、あるいは疲弊した態度。
遺体を見せられ「叔母と思う」と回答。
叔母を恨んでいる人間の心当たり、叔父の所在、名前等について返答。
現場に残る証拠について、やや執拗に訊ねる。
殺人犯がうろついてるかも知れない夜道を一人で帰ろうとし、大石に疑念を抱
かれる。
…で。
翌21日、興宮を訪れていた悟史に、早くも任意同行がかけられるわけです。
8時11分に夜の雛見沢を裸足で駆けてく愉快なサザ…悟史ですが、この時彼は今が一番外出する人の少ない時間、と判断しています。
ゆえに、犯行を行ったのならこの時間だろう、とは思われるのですが――
その僅か26分後、8時37分にはもう死体発見・事件発生の報が園崎お輌の元へと届けられており、あまつさえ警察の捜査まで既に始まっています。
8時11分以降に悟史が叔母を殺したとすると…これ、かなり厳しい条件だったという事がわかります。
なぜなら、
8時11分:裸足で外を走る悟史
↓
ふと家に帰り窓から入る
↓
叔母を誘い、外へと連れ出す(今度はちゃんと靴を履く)
↓
二人でゴミ投棄現場へ
↓
不意をついて叔母の後頭部を何度も殴る
↓
仰向かせて顔面も何度も殴る
↓
誰にも姿を目撃されず、凶器とともに去る
…これら全ての行動を完遂した上、なおかつ、「警察が既に捜査開始していて、事件の第一報を持った村人が祭会場のお輌の元へと辿りつく」のが37分時なわけですから、…上に書いたような手筈をすべて8時11分からの外出の時点でこなすのは、不可能と言わざるを得ません。
まあ…やってやれない事ははない、とは思うのですが、このタイムスケジュールのタイトさと、加えてこの時間帯を「一番人気のない時間帯」と考えていた悟史の予想とは裏腹に、あっさり遺体が見つかってしまった…という誤算とを考え合わせてゆくと、恐らくこのスケジュールを強行した場合、悟史は誰かに目撃されてしまうか、あるいは現行犯逮捕されてしまう、といった辺りがオチでしょう。
悟史が叔母を殴ったのは、5時〜8時の間なのではないだろうか、と考えます。
つまり……
皆が夕食の為に帰るか、クジの為に残るかして外出者の少ない時間帯が8時頃に生まれるように、祭に出てくる人は大方家から出払い、また帰ってくる人も少ない時間帯ってのがあると思います。
何の事を言っているのかと言うと梨花の奉納演舞・ワタ流しの時間帯です。
この時間を狙って富竹や鷹野も祭具殿へと侵入しましたから、人の目が少なくなる事は確かでしょう。
つまり、
悟史、奉納演舞・綿流しと続く人気のない時間帯に、叔母をゴミ捨て場へと誘導。
祭りの日、人目につくゴミ漁りをする事に対しやや渋る叔母に「この時間帯ならちょうど通りかかる人もいないし」くらいの事は言ったかも知れない。
↓
叔母の後頭部を殴打。叔母、うつぶせに倒れる。
事務机傍らに転がる遺体を、別のゴミを持ってきて一旦隠す。(埋める時間がない)
↓
悟史一時帰宅。
夕食を取る。
その間に、家で夕食を取ろうとする村民達帰宅。隠された叔母の遺体には気づかず。
↓
8時頃くらいか。
皆が帰る時間帯から一人外れて帰ってきた「誰か」、粗大ゴミの山のそばを通りかかる。
↓
その時、ゴミの下に隠されていた叔母の遺体、動く。
浴びたのは致命傷ではなく、叔母は単に意識を失っていただけだった。
突如、暗闇から起き上がる憤怒の形相の叔母を見てしまい、殺されると思う「誰か」。
↓
「誰か」、手近な鈍器で叔母を殴打。
叔母その場に再度倒れる。
仰向かせ、後頭部に引き続き顔面を殴打。
↓
さて……人気のない時間帯の今の内に遺体を動かそう/埋めよう、と思う悟史。
窓から裸足で抜け出し(靴跡をつけないための配慮だろう)、ゴミ捨て場へと赴く。
↓
8時11分頃。
悟史、泣きながら叔母の亡骸を何度も何度も殴っている妹を目撃。
↓
呆然とするも、事情を話して落ち着かせた妹と凶器を回収、取り合えず家へと戻る。
↓
そうこうしている内に遺体が発見されてしまう。
↓
悟史、沙都子に硬く口止めをしておく。
↓
警察が身元を割り出したらしく、家にやってくる。
悟史身元確認のため現場へ同行。
↓
参った表情で、大石に「証拠は残ってないのか」と訊ねたりする。
↓
その後の大石の調べで、悟史が近頃金属バットを持って歩くようになった等の裏づけがされ、悟史に殺人犯の容疑がかけられる
↓
翌21日、悟史任意同行
という流れなのではないでしょうか。
…こう考えてゆくと、叔母の遺体を見たときの入江の不審な態度も納得がゆく気がします。
入江は死体を見て悟史の叔母だとすぐに解り、やったのは悟史だろうとも思った。
しかし、悟史は虐待者に対し憎悪を抱くよりはむしろ厄介事そのものを回避しがちな、「大人」的な性格だった。(そう在ることを余儀なくさせられた)
なので、治療を通じて悟史の内面を知る入江としては、入江の前で大石が語っていたような「殺害に際して被害者の顔面を潰す程の怨恨」を悟史が持っていたとは思えなかった。
むしろ、持っている人物がいるとしたら、それは……
と考えてゆき、沙都子の犯行の可能性に気づいてしまった、のかも知れません。
数日後、23日の沙都子誕生日。
悟史が消えます。
これをやったのは沙都子ではないだろう、という事はまあ、祟り殺し編の吊橋のシーンの独白や、目明し編のあの拷問の様子からもわかるのですが…。
この事件、別件で取調べ中の麻薬中毒者の「真犯人」が自供しており、なおかつ秘匿捜査指定に関する署間の連絡がうまくいってさえすれば、近日中に真犯人逮捕、悟史の容疑は晴れ事件解決と相成っていたはずなので……
この事件に犯人役を「用意」した連中とは、別の「思惑」が、悟史を消した……と、やはり考えておくべきなんでしょうか。