<鷹野のトランクの中身>


 祟殺し編11日目夜、圭一を轢きかけた鷹野の車。
 人を轢きかけておきながら、土砂降りの雨の中自分だけ傘を差し、自転車と大地とに挟まれるずぶ濡れの圭一を見下ろして、鷹野は「月の綺麗な夜ね」と仰います。ホントどういう神経してるのか…。
 それはさておき、足を怪我した圭一を家まで送り届けることになるものの、圭一を助手席に収容したところで、「…自転車は後日、って事にならない?」と鷹野は言い出します。
 圭一が疑問を向けると、「トランクはいっぱいなの」と語り、そして後部座席には既に一台自転車が積んであるわけなのですが……。


 今日はこれらの積荷について、少しだけ考えてみましょう。



 まず、後部座席に積んであった自転車のことを考えてみたいのですが……私はこれは恐らく、富竹に選んでもらった鷹野の自転車ではなく、富竹の自転車だろうと思います。


 理由は、「その憶測を圭一が口にした瞬間からそれまで冗談交じりだった鷹野の態度が急に硬化し、最終的に威圧・脅迫に近い行為をされたから」だけではなくて、圭一の言葉に対する鷹野の言い分です。
 あの自転車富竹さんのものですよね?と訊かれた時の、鷹野の返答はこうです。

* * * * *

「それはおかしい。富竹は自転車で雛見沢に来ていて、宿は雛見沢にないのだから、ここに富竹の自転車があることはない」
圭一「(富竹さんと鷹野さんは親密だから)別におかしくはないんじゃないですか?」
「そういう事ではない。この雛見沢において富竹と自転車が別々に存在することはありえないと言っている。
 あれは私の自転車。富竹に選んでもらったのでセンスが似ているのは当然」
圭一「ああ、道理で似ていると…」
「私達は今夜、出会わなかった」

* * * * *

 ちなみに、この会話を交わしているのは前原家の玄関先です。
 圭一はよりによって鷹野との別れ際に、自転車が富竹のものではないかと指摘したわけなんですが……。もし車の中で喋っていたらどうなっていたやら。
 さて。鷹野の語る内容が真実とした場合、鷹野の語り方はどこかおかしいですね。


 あの自転車富竹さんのものですよね?と訊かれて、本当に自分の持ち物であるならば、自分のものだと答えればいいはずです。富竹に選んでもらった、という補足をしても良いでしょう。
 しかしなぜ、その返答に至るまでの間に、「それはおかしい」「ありえない」などの反説が挟まってくるのでしょうか? 自転車が富竹のものでないことを論理的に証明しなければならない必要がどうしてあるのでしょうか。
 それは――あの折り畳み自転車が富竹のものであったからだ、と考えます。



 で。
 鷹野の車に積んであった自転車が富竹のものとして、事実上、自転車を手元に持たない富竹がどこかに移動する可能性――あるいは鷹野が富竹の自転車だけを運ぶ可能性、というのを考えてゆくと――やはり、そんな可能性(展開)は存在しないのではないか、と思われます。
 鷹野の家にしけこんでいる…なんて事も考えられましたが、よく考えれば鷹野の家も興宮です。(というか鷹野って村人でさえなかったんですね……。)



 では、トランクの中身は一体何なのでしょうか?
 圭一が祟り怪死になぞらえて殺人を犯した日の夜、富竹のものらしい自転車が後部座席にあって、そしてトランクの中に収められているだろうモノといえば……


富竹ジロウ


……まあ、流れ的に当然、この答えが出ますよね。鷹野も、「富竹と自転車が離れて存在することはあり得ない」とかオソロシイ事も言ってますしね。



 つまり、
 やはり車には富竹が「乗って」いたのではないか――
 そしてそのことは、圭一に知られてはまずかったのではないか――
 これらの事が推測されます。


 で、トランクの中身が富竹だったんではないのか、という予想に至るわけなんですが…
 そもそも鷹野は、どうしてそんな事をしているのでしょうか。
 いくつか憶測を述べてみます。


1…富竹は姿を隠して雛見沢から逃げる途中で、誰にもその事を知られてはまずかった。
2…鷹野は富竹を拉致しトランクに放り込みどこかに連れて行こうとしていたところで、その事を圭一に察知されるのはまずかった。


 順番に検証していきます。
 まず1ですが、これは…ちょっと矛盾点が多いです。


 もし…富竹が雛見沢から逃げ出そうとしていたのなら、確かに鷹野を頼るかもしれません。
 誰かに追われているなどしていて、自転車では街まで逃げ切れず、また姿を晒して逃げるわけにもいかない状況だったのなら、鷹野に頼みトランクにかくまってもらって車で運んでもらいもするでしょうが……
 それは成功率が低いと言わざるを得ない上に、そもそも自転車は捨てていくはずなんです。
 なぜかと言うと……もしも富竹があの夜誰かに追われていたとして、そして姿をトランクに隠す必要がある――追いつかれる・または姿を見られ行き先を知られる、とそう判断を下して場合、トランクに収まりきらないのであれば、折り畳み自転車は置いていかなければまずいんです。
 鷹野と富竹が懇意にしている事は周知の事実ですし、もしも富竹が姿を隠しつつ自転車以外の手段で逃亡しなければならない場合、鷹野が手を貸すだろう…という事は周りも予想するに足るわけです。
 で、もし村境沿いの一本道などで、「追っていた」連中の待ち伏せ(検問)を受けるかあるいは目撃されるなどした場合。
 疲れきった圭一でさえ気付いたくらいです。
 富竹の姿を隠しつつ車で運ぶはずが、鷹野の操る車の後部座席に堂々と富竹の折り畳み自転車があったら……どうにも、言い逃れしようがありません。


 ――というわけで、1は却下。



 次に2ですが……邂逅の最後に「私達は今夜、出会わなかった。」とか脅しを受けるあたり、この説は結構ありそうかなー、とも思うんですが……実はこれも変なんです。


 なぜなら、富竹の死亡日時は19日夜。鷹野も同様。
 で、富竹が部活に参加している姿がクラスメイトに目撃されているから、もし富竹が拉致されたとするなら、犯行は富竹の目撃証言のない、祭以後の時間に行われた事になりますね。
 で、これを19日夜・祭の後とした場合、その時間、鷹野の死体は既に岐阜県で燃えているわけです。
 他県で焼死体になっているはずなのに普通に車を転がしていて、最終的に「私達は今夜、出会わなかった。」とか圭一に口止めしてくる鷹野ですが、ひとつ、ちょっとおかしな行動を取ります。
 圭一を前原邸まで送り届けた後、家族を呼んでこようとするのです。
 「圭一は最終的に口止めできる」と鷹野が判断していたなら、圭一に自分が不自然な時間に雛見沢をうろつきまわっている姿を見られたところで、生かしておいても別に構いません。相手にもやましい部分があるようですし。
 しかし前原両親は別でしょう。
 もし不自然な時間に鷹野を目撃したとして、それを仮に警察に訊かれたとして喋らない理由はありません。
 平然と、「ご家族の方を呼んでくるわね」と人前に姿を晒そうとする鷹野の態度は……怪我人を前にして自分の都合を押し込める医療従事者としての反射的な態度というよりはむしろ、――別に姿を晒しても特に問題ない、という態度のようにも思えます。
 鷹野以外の人間が鷹野の死を偽装するメリットもなさそうですし、そもそも歩き回っている事をアピールする“死体”もないでしょう。
 
 ――というわけで、2も却下となります。



ただし。



 前回の記事で、圭一が鉄平を殺害したのは18日なんじゃないか、という説を出しました。
 これに従った場合、圭一が鷹野に出会うのも18日夜という事になります。
 これならまぁ、鷹野が圭一の両親を普通に呼ぼうとしたのも納得できるんです。(鷹野と富竹が死亡するのはその日ではなく翌日の事だから)



 しかしながら、祭が翌20日に延期になっていたとして、そこで富竹は部活に参加しているんですよね。
 拉致された人間の行動とは思えないわけです。
 ここがどうしても矛盾するわけで……結果、ここで行き詰ってしまう。


 多分あの車に富竹は「乗って」いたとは思うんですが、背景がわかりません。
 拉致、ではなくて、追われているのを逃がしてる、でもないとなると……一体何なんだろう。


<失敗推理>

 これらの矛盾に唯一説明がつくカレンダーとして、
 「圭一が記憶を失った祭の開催日が18日」で、「圭一が殺人を犯したのが19日」かとも思ったんですが……。
 それだと圭一が人殺しに行く途中で浴衣を着た家族連れに会うのがおかしいですし、また殺人を終えていない圭一が祭で遊び呆けられるとはとても思えないんですよ。…そもそも、祭の夜に鉄平を殺す、が彼の行動目的だった以上、それを投げ出せるとも思えませんし。


<憶測>

 この祟殺し編の綿流し祭に関しては鷹野の目撃証言がなかったり、「この雛見沢において富竹と自転車が離れて存在することはありえない」というやけにハッキリした台詞から判断して、鷹野ってもしかして、富竹に化けたりしてるのか?とも思ったんですけどね……。
 証明しようがないし、そもそもありえない。筋肉襦袢でもつけるってのか。




ぐああ。わかんねえ。