<鬼ヶ淵村の秘史まとめ/考察>


 んでは、まず鬼ヶ淵村の過去について簡単にまとめてみたいと思います。
 祭囃し編終了後に追加されるTIPS「鬼狩柳桜」や例の母子問答などで、古手家に伝わる禁書の内容や、オヤシロ様伝承の真実が語られるわけなんですが…。


 ・大昔、鬼ヶ淵沼に羽入達の一族がやってきた。どこから来たかは梨花にも説明不能
 ・その結果、村人達にとって“誰が人で誰が鬼かわからないような混乱状況”が発生した。
 ・神社の息子が羽入を見初めて子をなした。この子が後の古手桜花。
 ・恐らくそれなりの時間が過ぎ、羽入達と村人達は和解を求めた。
 ・このゴタゴタを通じて村人達の負ってしまった罪や穢れを洗い清めるため、羽入がその罪を全て引き受ける事を承知し、そして我が子の古手桜花に鬼狩柳桜で成敗された。
 ・鬼狩柳桜は神社のオヤシロ様のご神体の中に収められたらしいが詳細不明。
 ・羽入はその後も村を見守り続けた。 


 まあ大体こんな感じ。
 …んで、これらを、雛見沢村に関連する様々な要素を絡めつつ解釈してゆきますと。




(1.羽入はどこからやってきたのか)


 まずはじめに。羽入は実体化・非実体化・時間跳躍・複数世界観測&記憶の絶対維持・あぅあぅ(←脳内超高速浮動小数点演算)など様々な力をもっている様子です。
 羽入達がどこからやってきたのかを考える上でこの能力は外せないかと思われます。
 んで。羽入は梨花によって観測されており、また記憶の維持は不完全ながらも世界のループを自覚的に経験できているのも羽入以外では梨花のみです。
 加えて、カケラ遊びをしている人物と百年生きている梨花との類似性、さらにはフレデリカ・ベルンカステルの詩が梨花の口から飛び出す事などを考え合わせると…


 つまり。あのような能力を有する羽入はもともと、複数世界を客観視し、並列に観測可能な場所――つまりカケラ遊びのできるような場所からやってきた…と言えるのではないでしょうか。
 で、大昔はともかくとして、昭和58年時の羽入はもう“己が観測している世界に介入するような形で”雛見沢に存在しているが為に、(多少の能力縛りはあるのかもしれませんが)実体化・非実体化・時間跳躍・記憶維持などの超常能力がすべて思いのままなのではないでしょうか。
 ぶっちゃけマトリックス。ネオ。
 梨花弾丸止めるし。赤いカプセルとか出てくるし。(←まったく関係ない)




(2.誰が鬼か誰が人かわからない状況てのはどういう事か)


 これは、「雛見沢症候群の器質上での発症」と、そして「症状のもたらした不確定な現実」とを同時に表現した言葉なのではないかと思います。


 えーとまず、高野達が研究していた通り、雛見沢には何らかの寄生的存在がいるのは確かなわけで。それが寄生虫なのか寄生虫と呼ぶには微妙なものなのかはわかりませんが、とにかく住民達はそれらに寄生されていると。
 んで次に、雛見沢症候群の発症条件にはお互いを疑い合う事なども含まれる上に、また症状のひとつとして極度の不信や認識異常なんかもあるわけで。
 で。…こっから先はちょっとばかし、観念的な話にもなっていくんですが。


その1:人は鬼を鬼と思う


 ――ある存在が何らかの別存在による寄生を受け、その自律行動に僅かでも影響を受けた場合、その存在は既に以前までの存在とは決定的に異なってしまっていると言う事ができる。
 つまり寄生され影響を受けた段階でその人物は既に人ではないと言う事さえできるわけです。
 症候群に冒された段階で既に鬼となる要素を秘めてしまう。つまり患者は人ではなく等しく鬼である、人の形をしているけれどその人物は鬼である…という認識をあてがう事ができます。
 

その2:鬼は人を鬼と思う


 んで、症候群の症状として強い猜疑心や認識異常があります。この患者は、鬼隠し編の圭一のように無実の人を勘違いで殺してしまったりもしてしまうわけです。
 また、悟史が道行く人の顔がみんな殺したはずの叔母に見えていた事や、雛見沢に伝わる双子の忌避という風習などを考え合わせると、完全に認識が歪み、誰が敵なのか、誰が味方なのか、ていうか誰が誰なのかもわからなくなるのがこの症候群に冒された患者が示す症状であると言えるでしょう。


 まぁ以上のような理由から、村人達が症候群に冒されると、
 自分達が人であるという定義が揺らぐ→加えて末期発症で暴れる奴&自傷死する奴が出る→その症状を恐れ、お互いの感染を疑い合う→みんなの症状が進行する→認識異常まで起こし始め、みんな言ってる事が完全にバラバラになる→もはや何が現実か判断不能になる
 …と、誰が鬼で誰が人かわからない状況が生まれてしまうわけです。




(3.羽入が子をなしたってどういう事?)


 で、太古の鬼ヶ淵沼に現れたのがただの寄生存在だったとした場合、羽入が子をなしたという話の辻褄が合わなくなります。 
 羽入は単にツノつきで生まれた奇形の人…と考えるには様々な能力持ちすぎですので、まあ恐らく本当にどっかからやってきた存在なのでしょう。寄生存在連れて。
 と考えると、大昔の羽入およびその一族ってのは肉体を持って存在した(あるいは実体化できた)と考える事ができます。
 …沼にツノ生えた人達がやってきて住み始めた。そしたら村人達の中にも凶暴化する者が出始めた。沼を訪れた彼らは鬼であり、そして村人達の中に現れたのも鬼である。
 恐らく当時はそういう解釈がなされたという事なんじゃないでしょうか。




(4.村人達と鬼達の和解について)


 んで、恐らくは、寄生存在引き連れてやってきた羽入達を村人達はまとめて鬼と呼び、そして村を襲う事になった大規模寄生を「鬼の襲撃」とか呼んだり「鬼か人かわからなくなった」とか言ったりしたのではないでしょうか。
 まぁ普通の昔話だったらここで鬼退治とかいう流れになるわけですが、しかしここで寄生という事実が重くのしかかってきます。…恐らく、村人達は何らかの形で寄生の事実を知らされた上に、また寄生そのものをどうにかする方法がない事を悟ったのでしょう。
 それはイコール、人の敵として倒すべき鬼がいないという話になってきます。つまり、完全に治療できない以上は、“大暴れして人に害をなす鬼”っていうのはどこまでも自分達自身の事でしかないので。自分達が鬼になっちゃってたら鬼退治なんてできませんし。
 ゆえに和解…というか、建設的に共存の道を探る事にした、という意味なのでしょう。




(5.羽入が村人達の罪を濯ぐ為、罪業すべてを負って娘に鬼狩柳桜で成敗されたっていうのはどういう事?)


 村人達の意を汲んだ上での羽入の献身とも受け取れるんですが、もしかしたらこれは一種の治療行為でもあったのかも知れない。


 症候群が発症しないよう…というか、寄生存在が悪い方に働かないよう、村人達はさまざまな戒律を設けて生活してゆきます。
 しかし長く続いた混乱の中で負った罪はいずれ清算する必要があり、そして同時に(沙都子と、彼女を労わる入江や梨花などを見ればわかりますが)症候群の重い患者にとって、罪の意識などは悪い方向にしか働かないものであったと言えるでしょう。
 つまり気持ちのケジメとかだけではなく、もっと切実に罪をどこかへ押し付けなければならない必要性があった。
 誰かが皆の罪を被って罰を受けなければ治るものも治らない。
 そこで、人との間に子をなした鬼こと羽入がその役を申し出たという事なのでしょう。




(6.古手桜花が羽入を成敗するのに使った、鬼狩柳桜って刀は一体何なのか?)


 ・触れ込みによれば人でも鬼でもない者のみ用いる事ができ、鬼神を倒せるという刀。
 ・成敗後、古手桜花が社内部へ厳重に封じた。
 ・形状は柳のように垂れ下がっているらしい。
 ・オヤシロ様のご神体の中に収められ、その姿を見た当主は何人もいない。
 ・憶測でいくつも形状予想図が描かれたりしているが、どれもバラバラ。


 …これらの断片的な情報を総合して盛大に妄想をふくらませてあぅあぅしますと。
 (あぅあぅ=脳内超高速浮動小数点演算)


 羽入にはツノがついてます。しかしその子孫という梨花にはついてません。
 遺伝形質の変化によってなくなったとみるのが一番自然なわけですが、しかし娘の古手桜花にはツノがついていてもおかしくはないかも知れません。
 んで、ちょっと話は飛びますが、羽入は何やら超常能力をたくさん持っている。…村が症候群に冒され始めたのと羽入達が鬼ヶ淵にやってきたのがほぼ同時と考えた場合、普通なら因果関係を疑われ、羽入達は速攻で村の近くから追い出されるか攻め滅ぼされるかするでしょう。しかしそうはなりませんでした。伝説によればその後、村人達と鬼達とは共存の道を辿っています。
 これは、鬼狩柳桜が「鬼神を倒した刀」ではなく「鬼神を倒す事のできる刀」と伝えられている事からも考えて、羽入達が“普通には倒せない存在だったから”なのかも知れません。
 で、ツノの話に戻るんですが。
 …古手桜花は、母を倒す武器として己のツノを切り離し使用したのではないだろうか。
 異世界から来た鬼に効くのは鬼の肉体のみ。それ故に桜花はツノを切り離した。
 そして、鬼ではなく罪を濯がれた人としてその後も生きてゆく為、桜花は鬼のシンボルたるツノを切り離した。
 (上向きに生えていたか下向きに生えていたかは知らないが)当然、切り離したその形状は柳のように垂れ下がっている。
 そして、そのツノ…鬼狩柳桜にて、母を“成敗”した。
 成敗した後、母殺しの兇器・鬼狩柳桜は社の奥、オヤシロ様のご神体の中に厳重に封印された。
 で。禁書にあった「鬼狩柳桜で打った為に鬼神の角が下向きに曲がった」という記述は、これはオヤシロ様の原型…羽入の姿を現しているのだろう。
 要するに、古手神社にあるオヤシロ様のご神体ってのは恐らく、羽入と同じ下向きの曲がった角を(恐らくはっきりとはわからないように)有しているものと思われる。
 つまり――、古手神社に収められている鬼狩柳桜とは、オヤシロ様のご神体のツノ部分のことである。


 …まぁ、いつもの私の妄想なんですが。




(7.大昔から雛見沢を見守っている羽入って結局、何なの?)


 …梨花を執拗にタイムリープさせた理由が結局わかんねえ…。
 桜花と羽入のやり取りや、羽入の選んだ自己犠牲という結末から、
「ああ!雛見沢の母みたいなもんだから『幸せな未来を雛見沢に呼び寄せる為に』超常能力を使って子孫の梨花に何度もやり直させてるんだネ!」
って解釈ができなくもないんだが…、この婉曲な描写だと「説明なしかよ、放置かよ」とみんなに思われてもしゃあないと思うよ…。


 あー。こっから先は妄想全開ですよ。噴飯ものですよ。そのおつもりで読め。


 羽入。
 この人はたぶん桜花に殺された後で、何らかの形で“元々いた世界”に戻ってる。
 そんで、観測者の位置にありながら介入を行ってるんだと思う。
 もうこの世界の存在でないので誰にも見えないとかそんなんだろう。
 しかしながら雛見沢の寄生存在ってのはもともとソッチの世界の存在だから、その症候群が重度に進行した人ってのは羽入の足音や存在を感じ取れたりする。
 で、梨花が死ぬと意識をソッチの世界に引っ張り込み、そして時間を少し戻ったところで梨花の意識と共に世界に再介入、梨花の主観における「タイムリープ」を発生させてるんじゃあないだろうか。


 噴飯ものですね。ああもういいよ噴けよ飯を噴けよお前らの好きなだけ噴けよ。




(8.カケラ遊びをしてる人って結局誰なんですか?)


 何らかの事情により、複数世界を並列観測可能な場所に居る梨花
 劇中時の百年梨花よりもずっとずっと未来の梨花
 …なんじゃないか、と思う。
 根拠なし。




ぐああ。長え。毎度のことながら文章長え。
あと鬼ヶ淵沼の羽入退治ってたぶん公由・古手・園崎の三人パーティーとかでドラクエ2っぽく行ったと思うんだ。そんでジェットストリームアタックとかやったと思うんだ。(物凄くどうでもいい)