双子の忌避の理由考察

書散し編応募原稿をカリカリと書いています。
うあー。長い。俺の文章が長い。自分がこんなに長文野郎とは思いもしなかった。



今日は短く。



<双子の忌避について>


雛見沢の、特に御三家では双生児が生まれる事を良しとしなかったらしいですね。
生まれたら直ちに間引くべし、と伝えられるなどと詩音も語っていますが。


これを、三四は“世継ぎ争いが起きるのを嫌ったため”と結論づけていますが、
なら何も双子だけ忌避する必要はないと思われます。
当主に男児は一人のみ、とかそういう言い伝えだっていいし、単に世継ぎ争いを嫌うならもっと細かく付加条件があったっていい筈です。
そこにはもうちょっと別の理由があるように思います。


では、この双子の忌避っつうのはどの辺から来てるのか。


目明し編にて詩音は、己の背後を尾けてきた何かを、悟史でもなく、オヤシロ様でもなく、己自身だと結論付けていますが――
詩音が辿りついたこの結論が、双子の忌避にもつながっているのではないでしょうか。


詩音に現れたような症状が深刻化した結果、“己の背後に立つ存在が己の罪を見つめる己自身だ”、という結論に至る人が過去にも多かったとします。
その場合、症状にさいなまれる人間が背後に響く足音に振り返り、そこに自分と同じ顔をした兄弟が立っていたとしたらどうでしょうか。
そして、(まぁ仮に茨城の暴行事件の際のレナが「窓ガラスに映る己の姿」をバットで粉砕していたと仮定して、)レナと同じ反応を示す人間が多かったらどうなるか…。
悲劇発生の確率は少なくとも上がるわけです。


ゆえに、双子は忌避された。と考えます。
んー、しかしちょっと理由としては弱いか…。



<ところでこの書き方って>


鷹野の研究ノートに似てますね。
以後これをテンプレートにするか。
あとどうでもいいがあの研究ノートに、



<入江医師について>


この寒村にあれほどの規模の診療所を経営するという慈善事業家、若き村の名士だが…。
今日も診療所の中でメイドメイド言いながら回転していた。
正直転職したい。


…みたいな項目があったら笑う。



<以前書いた月齢に関する記事について・参考物等捕捉>


・各年の綿流し祭の開催日は「捜査ファイル」の新聞記事に準拠しています。
・月齢は、WEBで利用できる月齢のカレンダーを引いて調べました。
・昭和53年の綿流しを満月とした場合、1978年6月21日がその月齢に相当しますが……月が満ちるのは5時でした。
 そうか……梨花、徹夜か……。(違う)